Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

本当にやりたいことのために

今年に入ってから出張がたった多い!一年のうち四ヶ月以上は県外のホテルで生活してるでな〜(。-∀-)

 

今も岐阜県中津川市で絶賛夜勤中。最初は10日間と言われたのが気付けば3週間に…。

ちょうどこの間に

 

  • 大人のかんもくフォーラム(めっちゃ行きたかった!)
  • 言友会の忘年会(去年も仕事で行けなかった)
  • ハーフマラソン(初めての出場でそこそこ練習してきたのに…)

 

と3つ予定があったのに全ておじゃん。空手や筋トレも継続して平均週3日は続いていたのに出張でまた行けなくなり…。まあ出張先でも筋トレや空手の稽古はやろうと思えばできますよ。実際にしてるし。けどモチベーションの維持やパフォーマンスの低下がネ…(´ω`)

 

こんな感じで仕事でかなりプライベートを犠牲にしてるなって思う。ストレスも溜まってきてるし、何のために生きてるんだろって考えたりしてサ…。

 

でもおかげ様で貯金はかなりできた。出張に行くと[出張手当][食事手当]がしっかり出るし(これがこの会社のいいところ!)休日出勤や残業も多いもんで。

 

一応言っとくと事前に予定があるって言えばたぶん出張は他の人に代えてくれたり、仕事も休ませてくれると思う。でも僕は不器用で仕事できる方ではないし、そういう人に限って備えているはずの愛嬌?の良さとかもないから。

僕の武器は真面目さ、理不尽なことを言われても受け入れる素直さ、いつでも出張に行けるよう予定を空けておく(あるいはキャンセルする)フットワークの軽さや会社への忠誠心だと思っています。

 

冷静になって考えるとこの気を遣いすぎる性格がストレスになってるのだと思うけど…。でも結果的に幅広く仕事は与えてくれているので、自分の武器は有効に使えてたということだと思います。

 

…だんだん本題から逸れてきた^_^;

 

僕は10代の頃からの夢があって、それをするためにはそれなりのお金が必要です。それがここ2年くらい出張に多く行かせていただいたおかげで、来年からようやく実現できることになりました。

 

たぶん出張行かずに自分がいま楽しみたいことだけやってたら、ここまで貯金できなかったんじゃないかなって思います。やりたいことができなくて人生損してるって考えてたけど、それらを我慢してきた甲斐あって本当にやりたかったことができるようになるなら良かった。

 

自分に降りかかる困難は自分を成長させてくれるためにあるとこれからもポジティブに生きていきます(^_−)−☆

 

ではでは!

まずは書く!

Ryo’s Diary読者の皆さんこんばんは!

って、読者登録0人やないか〜い(=゚ω゚)ノ

 

慣れないノリツッコミから始めますが、実際ブログを更新してもアクセス数が0〜2人くらいがほとんどです。

 

完璧主義の僕は自分で納得できる文章を書こうとこだわりすぎて、結局最後まで完成させられず下書きに記事が10個くらい溜まっています。

 

このブログの本来の目的は、僕自身が出会えた心に残る出来事や名言を忘れないように残しておくため。

高校生のとき使っていた国語の教科書に「日々の中でふと気になったことはノートに書き残しておくとよい。例えば空が綺麗だなと思っても、時間が経てばそのときの感情は忘れてしまうから」と書いてあったのが印象的で、僕も忘れないようにしなければと思ったのがきっかけです。

 

どうせ書くなら皆に見てもらえる方がいいと公開してますが、「人に見られる」「変なこと書いてバカにされたり批判されたらどうしよう」「自分の気持ちや出来事を正しく伝えたい」などなど考えすぎて結局更新できないなら本末転倒です。

 

誰も見てないんだし、これからは良い文章を書くことにこだわらずありのままの文体で綴れたらなと思います。そうやって数多く書いてるうちに、本当に納得できる文章が書けるようになってくるサ。

 

では( ^_^)/~~~

成人吃音とともに

今月出版されたばかりの本『成人吃音とともに/北川敬一』を読み終えました。

成人吃音とともに:文章と写真と映像で、吃音を考える(DVD付録)

 

北川さんの本を読むのはこれで二冊目です。一冊目の『吃音のこと、わかってください』が面白くて、吃音を持つ小・中・高・大学生や社会人、その保護者などそれぞれの視点からの体験談や吃音観が綴られている素晴らしい内容でした。

吃音のこと、わかってください クラスがえ、進学、就職。どもるとき、どうしてきたか

 

『成人吃音とともに』はタイトル通り成人吃音当事者を中心に書かれています。僕は本書の冒頭部に書かれている、私は自分をサンプルにして、成人になっても吃音のためにいろいろな思いはするけど、それ以上に仕事や生活の方が心配になってきて、「なんとかやっています」という行儀のよい発言をしてきました。今回、社会人となった成人吃音の方々の取材を続けるうちに、成人になってもなんとかやっていくのが大変な方に数多く出会いました。という北川さんの言葉が印象的でした。

 

僕は吃音当事者の集まりなどで体験談発表をしたことが何度かあります。その内容は、過去に辛いことはたくさんあったけど今は逆境をバネに前向きに生きていますというものばかりで、現在進行形の悩みを話すことはしてきませんでした。

理由は、やはり聞いている人に前向きな気持ちになってもらうには明るく前向きに生きている姿を見せるべきだと思ったから。また強く見せることで、自分が本当に強くなったように思い込もうとしていたのかもしれません。

 

ですがこの本の中には成人になっても消えない様々な悩みを持った人が紹介されています。仕事のストレスで休職した人の話を見たとき、「俺も仕事が辛くなったら一時的に避難して充電すればいっか」という気持ちになりました。

自分以外の人がみんな頑張っているなら、辛くても頑張らないといけないという気待ちになります。でも一人でも弱さを見せてくれる人がいると、自分も弱音を吐いたり逃げてもいいんだと安心できるようになると思います。

 

深刻に悩んでいる人には、前向きに生きている人の言葉より、同じように悩んでいる人の言葉の方が必要な時もあるのだと気付かせてもらいました。本書に出てくる「弱いところを見せることも勇気のいることなんだよ」という言葉も心にしまっておきたいです。

 

後半の自死された看護師さんの話は他人事とは思えませんでした。友人に反対されても、自分が進みたい理想とする道を選んだこと。結果的にそれが上手くいかなかったこと。

 

僕も吃音だから諦めたくないとあえて厳しい道を選ぶことがあります。そして上手くいかず傷付いたことも。しかし「吃音があってもこんなことができる」という憧れを捨てられず、今でも難しいことに挑戦しようとすることがあります。

そういう気持ちは大切にしなければいけませんが、やはり憧れだけではなく自分に本当にできるのか、向いているのかなど真剣に考えてから行動することも大切なことです。自分で判断できないときは身近な人の意見を求めるのも良いでしょう。 失敗を重ね過ぎてボロボロになったときにはもう手遅れになってしまうかもしれないから。

 

簡単になりますが、感想はこれで終わります。いつも本を読んだら印象的な部分をまとめたり感想を書こうと思いつつも、出来ないことが非常に多い。上手くまとめようとは考えずとりあえず読み終わったらすぐ感想を書くことを一番にします。

吃音がある子供たちに伝えたいこと

セルフヘルプグループの活動で、吃音がある子供とその保護者を対象にした交流会が年数回開催されています。私はスタッフとして、また成人吃音当事者として彼らに携わっています。

 

この活動では子供たちは同じ悩みを持つ同世代の仲間と触れ合うことができたり、保護者は情報交換や悩みの共有・相談をしています。また当事者や支援者であるスタッフが体験談を話したり質問に答えたりしています。

 

僕は成人になるまで周りに吃音のことは隠していて親の理解も得られなかったので、常に孤独を感じていました。だから、幼い頃から同じ悩みを持つ仲間と出会えたり、親が真剣に吃音と向き合ってくれたらどれだけ生きやすかっただろうと思います。とても意義のある活動です。

 

 今日は僕が学生時代を振り返り後悔していることや、現在悩んでいる子供たちに伝えたいことやしてあげたいことを書いていきます。

 

高校生のとき、人前で吃る姿を見せるくらいなら人と関わるのはやめようと友達は作らず学校行事にも消極的でした。高校生活での楽しい思い出がまったく無く、ただ勉強をするためだけに学校に通っていただけでした。人生で最も楽しかった時期と多くの人が振り返る高校生活を無駄にしてしまったことを今になってすごく後悔しています。 

 

年を重ねるごとに思うことは、人生って本当に偶然の連続で成り立っているということ。そしてその偶然は、自分から積極的に行動したり人と関わろうとしたとき起こるということ。

同級生に誘われて始めた習い事を10年以上経った今でも続けていたり、SNSで知り合った人に誘われて入ったサークルでかけがえのない仲間に出会えたり、たまたま参加したイベントで親しくなった女性と恋に落ちたり…。

 

もしあのとき行動しなければ、あの人に出会わなければ、今の自分は…というのが数えきれないくらいあります。そしてきっと、そういう出会いがこれからもたくさんあると思います。

 

だから多くの人と触れ合い学ぶことができる学生時代は出来るだけ引きこもらず何か行動してほしいと思います。勉強したり、部活を頑張ったり、友達と遊んだり。学校に居場所を見つけられないなら、他で趣味や生きがいを見つけたり家族と過ごしてもいい。

 

吃音と共に生きていく人生で、ときに辛いことや苦しいことに直面すると思います。そんなとき、楽しい思い出や支えてくれる仲間の存在があればどれだけ心強いことと思います。

 

もちろん当時の僕が出来なかったことを、現在苦しんでいる彼らが簡単に出来るとは思いません。行動したくても出来ないことに一番悩み苦しんでいると思うから。だから大人になった僕たちが、孤独な彼らに寄り添ったり、一歩踏み出す勇気を後押ししたり、目標とされる生き方を示していかなければいけないと思います。

 

他にも書きたいことはたくさんあるけど、一度に書くと何を一番伝えたいのかわからなくからこのくらいにしておきます。

等身大の自分

ゲオで漫画を大人借りして部屋でゴロゴロしながら読み耽るのがマイブームです。いま読んでるのは「キングダム」「リアル」「健康で文化的な最低限度の生活」など。

 

この中で、障害者スポーツをテーマにした「リアル」という漫画の中に良い言葉が出てきたので書き留めておきます。

 

“自分を受け入れられないなら、他人の価値も見えやせん。現在の自分ー等身大の自分を受け入れた人間だけが、他人を受け入れることができる。他人を認め受け入れることができたなら、今の自分を受け入れられる日も近い。”

 

昔から自分の才能や努力を過大評価して「本当の自分はこんなはずではない」とばかり考えてしまう癖があります。実際にはたいした努力をせず結果も残せていないのに、やればできるはずという妄想に依存して、結局何も出来ないまま月日だけが流れていく。

 

他人への嫉妬心も強い。始めはその努力を尊敬していた人に対しても「環境がよかっただけ」「人間性に問題がある」などと理由をつけて見下してしまい、これなら自分の方が立派だと思い込もうとしている。みんなの前では強がっているけど本当はとても弱い人間です。

 

だからこそ、弱い自分を受け入れて他人を認める努力をしなければいけない。例えば大卒の人に嫉妬して「こんな社会に出ず遊んでた奴に負けたくない」と敵対するのではなく、自分が出来なかった経験をしている人と素直に認めてその人から情報や考えを得られれば、自分の人生はきっとより豊かなものになると思います。

 

他人を認めることってとても勇気が要ることです。それは自分の弱さも認めることになるから。でもそうすることでしか見えてこないこともあるし、前に進めない。見栄張って強がりなんか言わずに心から自分を好きになれるように、そういう自分を目指して地道に何事も努力を続けていきます。

ちゃんと伝えよう

出張で宿泊していたホテルの近くに映画館なんてあるものだから、早く仕事から帰れた日はレイトショーを観に行ってました。最近観たのは『心が叫びたがってるんだ』と『君の膵臓をたべたい』です。

 

"ここさけ"はアニメの方でも感動して、言葉が人に与える影響の大きさや素晴らしさを改めて感じました。"きみすい"は予告が面白そうだったので観てみたのですが、この映画にも言葉の大切さを教えてくれるシーンが出てきたので紹介します。

 

無口で他人と関わろうとしない主人公が、人気のあるクラスメイトの女の子と話しているところを皆に見られて二人の仲を誤解されたと落ち込んでいたとき。「誤解されるのは君がみんなと話さないからだよ。みんな君のこと知らないから」という女の子の言葉が心に響きました。

 

私も自分の考えや気持ちを他人に話すことが苦手です。特に自分がどういう人間かをいちいち説明することをしてきませんでした。

 

それは、自分が信念に基づいて行動していたり日頃の言動を見ている人なら何も言わなくても「りょうくんはこういう人なんだ」ってきっとわかってくれるだろうと考えていたからです。

 

しかし、人間はそこまで他人に興味があるわけではありません。話さないことで「何を考えているのかわからない 」という印象を与えてしまう可能性もあるから、ちゃんと自分の考えてること必要なときは伝えなければいけないと思いました。

夢と現実

子供の頃、将来の夢は何?と聞かれたら迷わず「プロ野球選手!」と答えていた。

 

とはいえ小学校6年生のときに半年ほどソフトボールチームに所属しただけで、中学生になり入部した野球部は数ヶ月で辞めてしまった。

当時は毎朝9時頃に登校したり傷害事件を頻繁に起こしたりと素行の悪い少年だった。でも部活を辞めた一番の原因は、毎日欠かさず練習に参加しなければいけないというプレッシャーに耐えられなかったからだ。

 

夏休み、昼夜逆転で不規則な生活を送っていた私にとって毎朝決まった時間に起きて練習に参加することがとても苦痛だった。また野球部内では同級生と対立したり先輩から評判が悪かったりと人間関係にも問題を抱えていた。居心地の悪さもあり辞めてしまった。

 

それでも公立高校の入試面接で「この学校に入ったら何がしたいですか?」と聞かれたとき、「野球部に入って甲子園に行きたいです!」と自信満々に答えた。野球部辞めて将棋部に入った奴が何を言ってるんだろうって今では笑い話だけど、当時は本気でそう思っていた。弱小校でも自分がエースで四番になってチームを引っ張っていこうと。

 

きっと漫画やゲームの影響を受けすぎていたんだと思う。どんな困難も努力すれば乗り越えられるって信じてた。結果的に高校生になり再び入った野球部は2日目で「やっぱり毎日練習するほど野球好きじゃないわ」と気付いて退部した。

 

その後、高校初めての定期テストでクラス一番を取れたことから勉強に熱が入り、地元の国立大学進学を目指して勉強を頑張っていた。しかし定期テストでは相変わらずトップの成績を維持していても、全国模試の偏差値は平均すら程遠かった。中学時代全く勉強しなかったことを考えて、スタートが出遅れた分2年くらい浪人してもいいかなと考えていた。

 

そんなとき校長面談があり、2浪してでも地元の国立大を目指したいと話したら「成績は時間をかければ伸びるものではない」と忠告された。「俺は他の奴とは違う、努力を続ければ絶対にできる」と心の中で反発したけど、その言葉が棘のように心に刺さって抜けなかった。

 

そして在学中は受験せず、二年間スーパーや土木のバイトをしながら自宅浪人という形で勉強を続けていた。しかし思うように勉強に身が入らず貯金もできず、自分が目指していた目標は遥か遠い夢なのではないかと少しずつわかってきた。

 

「20代のうちは働いて学費を貯めよう。そして自分に見合った大学に行こう」と一旦就職することにした。その後、セルフヘルプグループの活動を続ける中で言語聴覚士臨床心理士という職業を知り、自分と同じ吃音障害を抱えている人の力になれる仕事に就きたいと考えるようになった。

 

そして25歳になった今。大学あるいは専門学校に通って資格を取りたいと漠然と考えてはいたけど、まだまだ学費を貯める時期だからと特に動いてはなかった。仕事を頑張って覚えたり休日は趣味や遊びに時間を費やすことが今の自分には必要だと考えていたから。

 

そんなとき、セルフヘルプグループに参加しているある先輩が転職したという話を聞いた。就労支援をしている会社らしいが、実はその一年ほど前から精神保健福祉士の資格を取るため学校に通っていると言うのだ。

 

「僕は現実的に考えて、自分が働きながら通える学校や取得できる資格を選んだ」と話しているのを聞いて、今までの自分の考え方を見つめ直すことができた。ようやく私も実現できる範囲で自分のやりたいことが見えてきた。

 

働きながらでも通える学校は何処か。こういう人間になりたいという憧れではなく、自分の性格や能力を冷静に分析してこれなら出来ると思える職業は何か。

 

先延ばしにするのもよくない。今まで生きてきて、人生とは思い通りに行かず予想外のことが起きるということを学んだ。自分がやりたいことはそれが出来る環境と意欲のあるうちに行動に移すことが大事。

 

ほぼほぼ選択肢は絞り込めたけど、もう少し情報を集めて出来るだけ自分に合った道を進むようにします。