Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

夢と現実

子供の頃、将来の夢は何?と聞かれたら迷わず「プロ野球選手!」と答えていた。

 

とはいえ小学校6年生のときに半年ほどソフトボールチームに所属しただけで、中学生になり入部した野球部は数ヶ月で辞めてしまった。

当時は毎朝9時頃に登校したり傷害事件を頻繁に起こしたりと素行の悪い少年だった。でも部活を辞めた一番の原因は、毎日欠かさず練習に参加しなければいけないというプレッシャーに耐えられなかったからだ。

 

夏休み、昼夜逆転で不規則な生活を送っていた私にとって毎朝決まった時間に起きて練習に参加することがとても苦痛だった。また野球部内では同級生と対立したり先輩から評判が悪かったりと人間関係にも問題を抱えていた。居心地の悪さもあり辞めてしまった。

 

それでも公立高校の入試面接で「この学校に入ったら何がしたいですか?」と聞かれたとき、「野球部に入って甲子園に行きたいです!」と自信満々に答えた。野球部辞めて将棋部に入った奴が何を言ってるんだろうって今では笑い話だけど、当時は本気でそう思っていた。弱小校でも自分がエースで四番になってチームを引っ張っていこうと。

 

きっと漫画やゲームの影響を受けすぎていたんだと思う。どんな困難も努力すれば乗り越えられるって信じてた。結果的に高校生になり再び入った野球部は2日目で「やっぱり毎日練習するほど野球好きじゃないわ」と気付いて退部した。

 

その後、高校初めての定期テストでクラス一番を取れたことから勉強に熱が入り、地元の国立大学進学を目指して勉強を頑張っていた。しかし定期テストでは相変わらずトップの成績を維持していても、全国模試の偏差値は平均すら程遠かった。中学時代全く勉強しなかったことを考えて、スタートが出遅れた分2年くらい浪人してもいいかなと考えていた。

 

そんなとき校長面談があり、2浪してでも地元の国立大を目指したいと話したら「成績は時間をかければ伸びるものではない」と忠告された。「俺は他の奴とは違う、努力を続ければ絶対にできる」と心の中で反発したけど、その言葉が棘のように心に刺さって抜けなかった。

 

そして在学中は受験せず、二年間スーパーや土木のバイトをしながら自宅浪人という形で勉強を続けていた。しかし思うように勉強に身が入らず貯金もできず、自分が目指していた目標は遥か遠い夢なのではないかと少しずつわかってきた。

 

「20代のうちは働いて学費を貯めよう。そして自分に見合った大学に行こう」と一旦就職することにした。その後、セルフヘルプグループの活動を続ける中で言語聴覚士臨床心理士という職業を知り、自分と同じ吃音障害を抱えている人の力になれる仕事に就きたいと考えるようになった。

 

そして25歳になった今。大学あるいは専門学校に通って資格を取りたいと漠然と考えてはいたけど、まだまだ学費を貯める時期だからと特に動いてはなかった。仕事を頑張って覚えたり休日は趣味や遊びに時間を費やすことが今の自分には必要だと考えていたから。

 

そんなとき、セルフヘルプグループに参加しているある先輩が転職したという話を聞いた。就労支援をしている会社らしいが、実はその一年ほど前から精神保健福祉士の資格を取るため学校に通っていると言うのだ。

 

「僕は現実的に考えて、自分が働きながら通える学校や取得できる資格を選んだ」と話しているのを聞いて、今までの自分の考え方を見つめ直すことができた。ようやく私も実現できる範囲で自分のやりたいことが見えてきた。

 

働きながらでも通える学校は何処か。こういう人間になりたいという憧れではなく、自分の性格や能力を冷静に分析してこれなら出来ると思える職業は何か。

 

先延ばしにするのもよくない。今まで生きてきて、人生とは思い通りに行かず予想外のことが起きるということを学んだ。自分がやりたいことはそれが出来る環境と意欲のあるうちに行動に移すことが大事。

 

ほぼほぼ選択肢は絞り込めたけど、もう少し情報を集めて出来るだけ自分に合った道を進むようにします。