Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

言友会に参加する目的

過去のFacebookを遡って見ていると、言友会に入った当初は吃音を中心にしか物事を考えることができていなかったことがよくわかります。それでも吃音活動には今と比べ物にならないほど情熱的で、長々と言友会について書いていたノートを見つけたので貼っときます。

 

2014年5月15日0:18 .
『言友会に参加する目的』
最近身近な人から言友会に参加することを反対されるようになりました。そこで僕がどういった目的で言友会に参加しているかを書いていきます。

 

言友会とは吃音(どもり)と呼ばれる言語障害を持つ人達が集まるセルフヘルプグループで、この会に参加している人達の当初の目的は「吃音を直したい、悩みを共有できる仲間がほしい、情報交換のため」など様々です。僕が言友会に入ったのは「同じ悩みを持つ人達と話がしてみたい」という理由からでした。

 

言友会に参加してから吃音観は大きく変わり様々な経験をすることができました。まず人前でどもることに以前ほど抵抗がなくなったこと。飲食店や電話対応から逃げることもなくなりました。これは他の人がどもりながら話す姿を客観的に見ることで自分が思っていたよりかっこ悪いものではないと気付けたからです。

 

一番の変化は"どもることで悩んでもいい"と思えるようになりました。以前はこの程度のことで悩んでる自分が情けないと思っていて誰にも相談出来なかったけど、今は堂々と吃音のことやそれで悩んでることを打ち明けることができます。

 

健常者からは「悩みは自分一人で抱えるもので誰にも打ち明けるものではない、慰めて欲しくて甘えてるだけ」と指摘されることもあります。そういう考え方の人もいるかもしれませんが僕は悩みがあったり辛い時は誰かに相談したり吐き出してもいいと思っています。特に吃音という目に見えない障害は自分から悩んでることを伝えないと周りからなかなか理解してもらえないから。また吃音がどれだけ辛い障害かを皆にわかってほしくて伝えていることもあります。

 

「悩みが軽くなったなら言友会を退会するべき。いつまでも慰め合って何になる」という声も見られますが言友会は単に吃音のある人達が日々の愚痴や悩みを打ち明けて慰めあってる団体ではありません。最初は悩んでいても今では吃音がある自分を受け入れて前向きに日々を過ごしている人達もたくさんいます。

 

それでもやはり悩んでる人達はたくさんいて毎月のように新しい人が言友会の門をたたきます。そういう人達に自分の体験談や経験から対処法を話したり、ときには自らが生き方のモデルとなってその人の進むべき道を教えてあげることもできます。

 

また吃音当事者以外にも、吃音がある子どもを持つ保護者に自分の学生時代の体験談を話し「あのとき親にはこうしてほしかった」など伝えたり、言語聴覚士の養成校に行き吃音者はどのようなことで悩んでるか、どういう対応をしてほしいかなどの要望も伝えています。一般の人向けには吃音という障害があることを街中でパンフレットを配るなどして認知度を広める活動もしています。

 

「言友会のなかでは話せても退会して自立しないと一般の社会では話せないのではないか」ということも言われますが、例えば僕は昨年の忘年会の幹事を担当させて頂いたり先月は花見&BBQの担当もして、普段の生活ではなかなか出来ないことなのでこういう経験が一般の社会に出ても役に立つと思います。

 

また例会では苦手な状況に合わせた訓練などもしていて、そこで練習することで本番でのハードルを下げることができます。そうなると言友会で練習しないと本番に行けないんじゃないかと思われますが、それは成功体験を増やすことで予期不安も少なくなりいずれは言友会に頼ることなく本番に向かえるようになります。

 

「いずれは吃音を全く気にせず生活できるようにするべき」という人もいますが吃音は現状では治療法もなく一生付き合っていくことになります。症状がひどいときは仲のいい人の前でも全く話せなくなるし仕事でも役に立てないこともあります。そういうときに全く気にするなというのも正直無理だと思います。こうやって無理だと決めつけているところが健常者から批判されるかもしれませんが、自分がどれだけ話したくても言葉が出てこなくて相手に迷惑をかけたり伝えたいことが伝えられなかったらやっぱり落ち込みます。

 

「学会など何のために参加する?出来ないことを何でも障害のせいにして言い訳してるだけではないのか」という意見。確かにそういうところもあるかもしれません。吃音と発達障害は密接に関係してると聞くと自分もそうなのかと思い込み「自分は発達障害なのだからできないのは仕方ないや」と開き直ることもたまにあります。

 

ただ決して自分に何でも障害を当てはめて言い訳にしたいがために勉強してるわけではなく、もし本当にそういう傾向があるならどういう対処法があるかを知りたい。もし幼い頃から感じていた生きづらさに原因があったのだとしたらそれを調べて、現在同じことで悩んでるこどもたちの力になりたいという気持ちもあります。

 

僕は言友会に入って救われました。吃音で人生を狂わされたくらいに考えていたのに、言友会の皆と出会えたことで性格も明るくなり毎日そこそこ楽しく過ごしています。だから言友会はもう退会して自立するべきと言われ寂しくなりました。お互い相手の気持ちがよくわからず誤解してるところもあると思いますが、この記事を見て少しでも僕の気持ちが伝わってくれればいいなと思っています。

 

※少し表現で気になるところは書き換えました。

本当にやりたいことのために

今年に入ってから出張がたった多い!一年のうち四ヶ月以上は県外のホテルで生活してるでな〜(。-∀-)

 

今も岐阜県中津川市で絶賛夜勤中。最初は10日間と言われたのが気付けば3週間に…。

ちょうどこの間に

 

  • 大人のかんもくフォーラム(めっちゃ行きたかった!)
  • 言友会の忘年会(去年も仕事で行けなかった)
  • ハーフマラソン(初めての出場でそこそこ練習してきたのに…)

 

と3つ予定があったのに全ておじゃん。空手や筋トレも継続して平均週3日は続いていたのに出張でまた行けなくなり…。まあ出張先でも筋トレや空手の稽古はやろうと思えばできますよ。実際にしてるし。けどモチベーションの維持やパフォーマンスの低下がネ…(´ω`)

 

こんな感じで仕事でかなりプライベートを犠牲にしてるなって思う。ストレスも溜まってきてるし、何のために生きてるんだろって考えたりしてサ…。

 

でもおかげ様で貯金はかなりできた。出張に行くと[出張手当][食事手当]がしっかり出るし(これがこの会社のいいところ!)休日出勤や残業も多いもんで。

 

一応言っとくと事前に予定があるって言えばたぶん出張は他の人に代えてくれたり、仕事も休ませてくれると思う。でも僕は不器用で仕事できる方ではないし、そういう人に限って備えているはずの愛嬌?の良さとかもないから。

僕の武器は真面目さ、理不尽なことを言われても受け入れる素直さ、いつでも出張に行けるよう予定を空けておく(あるいはキャンセルする)フットワークの軽さや会社への忠誠心だと思っています。

 

冷静になって考えるとこの気を遣いすぎる性格がストレスになってるのだと思うけど…。でも結果的に幅広く仕事は与えてくれているので、自分の武器は有効に使えてたということだと思います。

 

…だんだん本題から逸れてきた^_^;

 

僕は10代の頃からの夢があって、それをするためにはそれなりのお金が必要です。それがここ2年くらい出張に多く行かせていただいたおかげで、来年からようやく実現できることになりました。

 

たぶん出張行かずに自分がいま楽しみたいことだけやってたら、ここまで貯金できなかったんじゃないかなって思います。やりたいことができなくて人生損してるって考えてたけど、それらを我慢してきた甲斐あって本当にやりたかったことができるようになるなら良かった。

 

自分に降りかかる困難は自分を成長させてくれるためにあるとこれからもポジティブに生きていきます(^_−)−☆

 

ではでは!

まずは書く!

Ryo’s Diary読者の皆さんこんばんは!

って、読者登録0人やないか〜い(=゚ω゚)ノ

 

慣れないノリツッコミから始めますが、実際ブログを更新してもアクセス数が0〜2人くらいがほとんどです。

 

完璧主義の僕は自分で納得できる文章を書こうとこだわりすぎて、結局最後まで完成させられず下書きに記事が10個くらい溜まっています。

 

このブログの本来の目的は、僕自身が出会えた心に残る出来事や名言を忘れないように残しておくため。

高校生のとき使っていた国語の教科書に「日々の中でふと気になったことはノートに書き残しておくとよい。例えば空が綺麗だなと思っても、時間が経てばそのときの感情は忘れてしまうから」と書いてあったのが印象的で、僕も忘れないようにしなければと思ったのがきっかけです。

 

どうせ書くなら皆に見てもらえる方がいいと公開してますが、「人に見られる」「変なこと書いてバカにされたり批判されたらどうしよう」「自分の気持ちや出来事を正しく伝えたい」などなど考えすぎて結局更新できないなら本末転倒です。

 

誰も見てないんだし、これからは良い文章を書くことにこだわらずありのままの文体で綴れたらなと思います。そうやって数多く書いてるうちに、本当に納得できる文章が書けるようになってくるサ。

 

では( ^_^)/~~~

成人吃音とともに

今月出版されたばかりの本『成人吃音とともに/北川敬一』を読み終えました。

成人吃音とともに:文章と写真と映像で、吃音を考える(DVD付録)

 

北川さんの本を読むのはこれで二冊目です。一冊目の『吃音のこと、わかってください』が面白くて、吃音を持つ小・中・高・大学生や社会人、その保護者などそれぞれの視点からの体験談や吃音観が綴られている素晴らしい内容でした。

吃音のこと、わかってください クラスがえ、進学、就職。どもるとき、どうしてきたか

 

『成人吃音とともに』はタイトル通り成人吃音当事者を中心に書かれています。僕は本書の冒頭部に書かれている、私は自分をサンプルにして、成人になっても吃音のためにいろいろな思いはするけど、それ以上に仕事や生活の方が心配になってきて、「なんとかやっています」という行儀のよい発言をしてきました。今回、社会人となった成人吃音の方々の取材を続けるうちに、成人になってもなんとかやっていくのが大変な方に数多く出会いました。という北川さんの言葉が印象的でした。

 

僕は吃音当事者の集まりなどで体験談発表をしたことが何度かあります。その内容は、過去に辛いことはたくさんあったけど今は逆境をバネに前向きに生きていますというものばかりで、現在進行形の悩みを話すことはしてきませんでした。

理由は、やはり聞いている人に前向きな気持ちになってもらうには明るく前向きに生きている姿を見せるべきだと思ったから。また強く見せることで、自分が本当に強くなったように思い込もうとしていたのかもしれません。

 

ですがこの本の中には成人になっても消えない様々な悩みを持った人が紹介されています。仕事のストレスで休職した人の話を見たとき、「俺も仕事が辛くなったら一時的に避難して充電すればいっか」という気持ちになりました。

自分以外の人がみんな頑張っているなら、辛くても頑張らないといけないという気待ちになります。でも一人でも弱さを見せてくれる人がいると、自分も弱音を吐いたり逃げてもいいんだと安心できるようになると思います。

 

深刻に悩んでいる人には、前向きに生きている人の言葉より、同じように悩んでいる人の言葉の方が必要な時もあるのだと気付かせてもらいました。本書に出てくる「弱いところを見せることも勇気のいることなんだよ」という言葉も心にしまっておきたいです。

 

後半の自死された看護師さんの話は他人事とは思えませんでした。友人に反対されても、自分が進みたい理想とする道を選んだこと。結果的にそれが上手くいかなかったこと。

 

僕も吃音だから諦めたくないとあえて厳しい道を選ぶことがあります。そして上手くいかず傷付いたことも。しかし「吃音があってもこんなことができる」という憧れを捨てられず、今でも難しいことに挑戦しようとすることがあります。

そういう気持ちは大切にしなければいけませんが、やはり憧れだけではなく自分に本当にできるのか、向いているのかなど真剣に考えてから行動することも大切なことです。自分で判断できないときは身近な人の意見を求めるのも良いでしょう。 失敗を重ね過ぎてボロボロになったときにはもう手遅れになってしまうかもしれないから。

 

簡単になりますが、感想はこれで終わります。いつも本を読んだら印象的な部分をまとめたり感想を書こうと思いつつも、出来ないことが非常に多い。上手くまとめようとは考えずとりあえず読み終わったらすぐ感想を書くことを一番にします。

吃音がある子供たちに伝えたいこと

セルフヘルプグループの活動で、吃音がある子供とその保護者を対象にした交流会が年数回開催されています。私はスタッフとして、また成人吃音当事者として彼らに携わっています。

 

この活動では子供たちは同じ悩みを持つ同世代の仲間と触れ合うことができたり、保護者は情報交換や悩みの共有・相談をしています。また当事者や支援者であるスタッフが体験談を話したり質問に答えたりしています。

 

僕は成人になるまで周りに吃音のことは隠していて親の理解も得られなかったので、常に孤独を感じていました。だから、幼い頃から同じ悩みを持つ仲間と出会えたり、親が真剣に吃音と向き合ってくれたらどれだけ生きやすかっただろうと思います。とても意義のある活動です。

 

 今日は僕が学生時代を振り返り後悔していることや、現在悩んでいる子供たちに伝えたいことやしてあげたいことを書いていきます。

 

高校生のとき、人前で吃る姿を見せるくらいなら人と関わるのはやめようと友達は作らず学校行事にも消極的でした。高校生活での楽しい思い出がまったく無く、ただ勉強をするためだけに学校に通っていただけでした。人生で最も楽しかった時期と多くの人が振り返る高校生活を無駄にしてしまったことを今になってすごく後悔しています。 

 

年を重ねるごとに思うことは、人生って本当に偶然の連続で成り立っているということ。そしてその偶然は、自分から積極的に行動したり人と関わろうとしたとき起こるということ。

同級生に誘われて始めた習い事を10年以上経った今でも続けていたり、SNSで知り合った人に誘われて入ったサークルでかけがえのない仲間に出会えたり、たまたま参加したイベントで親しくなった女性と恋に落ちたり…。

 

もしあのとき行動しなければ、あの人に出会わなければ、今の自分は…というのが数えきれないくらいあります。そしてきっと、そういう出会いがこれからもたくさんあると思います。

 

だから多くの人と触れ合い学ぶことができる学生時代は出来るだけ引きこもらず何か行動してほしいと思います。勉強したり、部活を頑張ったり、友達と遊んだり。学校に居場所を見つけられないなら、他で趣味や生きがいを見つけたり家族と過ごしてもいい。

 

吃音と共に生きていく人生で、ときに辛いことや苦しいことに直面すると思います。そんなとき、楽しい思い出や支えてくれる仲間の存在があればどれだけ心強いことと思います。

 

もちろん当時の僕が出来なかったことを、現在苦しんでいる彼らが簡単に出来るとは思いません。行動したくても出来ないことに一番悩み苦しんでいると思うから。だから大人になった僕たちが、孤独な彼らに寄り添ったり、一歩踏み出す勇気を後押ししたり、目標とされる生き方を示していかなければいけないと思います。

 

他にも書きたいことはたくさんあるけど、一度に書くと何を一番伝えたいのかわからなくからこのくらいにしておきます。

等身大の自分

ゲオで漫画を大人借りして部屋でゴロゴロしながら読み耽るのがマイブームです。いま読んでるのは「キングダム」「リアル」「健康で文化的な最低限度の生活」など。

 

この中で、障害者スポーツをテーマにした「リアル」という漫画の中に良い言葉が出てきたので書き留めておきます。

 

“自分を受け入れられないなら、他人の価値も見えやせん。現在の自分ー等身大の自分を受け入れた人間だけが、他人を受け入れることができる。他人を認め受け入れることができたなら、今の自分を受け入れられる日も近い。”

 

昔から自分の才能や努力を過大評価して「本当の自分はこんなはずではない」とばかり考えてしまう癖があります。実際にはたいした努力をせず結果も残せていないのに、やればできるはずという妄想に依存して、結局何も出来ないまま月日だけが流れていく。

 

他人への嫉妬心も強い。始めはその努力を尊敬していた人に対しても「環境がよかっただけ」「人間性に問題がある」などと理由をつけて見下してしまい、これなら自分の方が立派だと思い込もうとしている。みんなの前では強がっているけど本当はとても弱い人間です。

 

だからこそ、弱い自分を受け入れて他人を認める努力をしなければいけない。例えば大卒の人に嫉妬して「こんな社会に出ず遊んでた奴に負けたくない」と敵対するのではなく、自分が出来なかった経験をしている人と素直に認めてその人から情報や考えを得られれば、自分の人生はきっとより豊かなものになると思います。

 

他人を認めることってとても勇気が要ることです。それは自分の弱さも認めることになるから。でもそうすることでしか見えてこないこともあるし、前に進めない。見栄張って強がりなんか言わずに心から自分を好きになれるように、そういう自分を目指して地道に何事も努力を続けていきます。

ちゃんと伝えよう

出張で宿泊していたホテルの近くに映画館なんてあるものだから、早く仕事から帰れた日はレイトショーを観に行ってました。最近観たのは『心が叫びたがってるんだ』と『君の膵臓をたべたい』です。

 

"ここさけ"はアニメの方でも感動して、言葉が人に与える影響の大きさや素晴らしさを改めて感じました。"きみすい"は予告が面白そうだったので観てみたのですが、この映画にも言葉の大切さを教えてくれるシーンが出てきたので紹介します。

 

無口で他人と関わろうとしない主人公が、人気のあるクラスメイトの女の子と話しているところを皆に見られて二人の仲を誤解されたと落ち込んでいたとき。「誤解されるのは君がみんなと話さないからだよ。みんな君のこと知らないから」という女の子の言葉が心に響きました。

 

私も自分の考えや気持ちを他人に話すことが苦手です。特に自分がどういう人間かをいちいち説明することをしてきませんでした。

 

それは、自分が信念に基づいて行動していたり日頃の言動を見ている人なら何も言わなくても「りょうくんはこういう人なんだ」ってきっとわかってくれるだろうと考えていたからです。

 

しかし、人間はそこまで他人に興味があるわけではありません。話さないことで「何を考えているのかわからない 」という印象を与えてしまう可能性もあるから、ちゃんと自分の考えてること必要なときは伝えなければいけないと思いました。