Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

誰かを傷付けたくなる気持ち

数年前、吃音がある子どもを育てている母親で、吃音があり子どもを産んだ人のことを批判している人がいました。「〇〇さんって自分が吃音あるのに子どもを産んだってことよね?それってどうなの(自分の子どもにも同じ思いをさせるつもり?)」というふうに。(母親同士の話し合いに参加していた人から後で聞いた話です)

 

その話を聞いたとき、なんて最低な母親だと強く憤りを感じたことを今でも覚えています。「吃音がある人は子どもを作ってはいけないの?」もし自分がその場にいて話を聞いてたらブチ切れてただろうなって。

 

でも少し落ち着いてから、その人はどうしてそんな理不尽で酷いこと言ったのかなと考えてみました。自分の子どもが吃音でからかわれたり苦しんでいる姿を一番身近な存在として見てきている。母親自身も子どもに辛い思いをさせていることが辛くて、自分を責めて苦しんでいたのかもしれません。

 

本当は自分でも理不尽なこと言ってるってわかってるはず。でもそうやって誰かを傷付けることでしか、自分を守ることができなかったのかなって今では思います。

 

このように人の悪口を言ってしまう人は、たいていその内容と同じことで誰かに嫉妬したり劣等感を抱いていることが多いです。

 

「大卒なのにそんなこともわからないの?」

→学歴にコンプレックスがある

「あいつは女たらしだ」

→恋愛経験が少ない

「俺は誰にも頼らず一人で頑張ってきた」

→本当は助けて欲しかった、甘えたかった

 

ところで私は昔、自分の考え方や行動を否定されたり間違った解釈をされるといちいち反論しないと気が済みませんでした。

 

例えば「お前SNSリア充アピールばかりしてるよな。みんなに自分は幸せだって自慢したいの?」と言われたとき。この人は私のことを誤解していると考えて「それは違う。他の人が楽しそうなことをしているのを見て『ロードバイク楽しそうだな、自分も始めてみよう』『近場にそんな場所があるんだ、今度行ってみよう』『あの人プライベート充実してるな、俺ももっと遊ばないと』って気持ちにさせてもらえて感謝してるから、そうやってお互いに情報交換したり刺激し合える輪を広げたいんだ」というふうに相手を納得させるまで長々と説明しようとしていました。

 

でもこれも先ほどと同じで、SNSの投稿を見て「こいつリア充アピールかよ」と考える人は認知が歪んでいる。自分が充実した日々を過ごせていないから相手に嫉妬している。その事実を認めたくないために「あいつはSNSリア充アピールすることで自分が幸せだと思い込もうとしているんだ」と自分に都合よく解釈しようとするわけです。

※相手の価値をおとしめる事で、相対的に自分を優位に立たせようとする人のことを『価値低減傾向』と呼ぶらしいです。

 

今では誰かに悪口を言われても気にすることはありません。その内容が客観的に見て自分の悪いところを指摘してくれている内容なら素直に受け止めて改善する努力をしますが、感情的になり傷付けるために発言しているなら相手にする必要はなくその見極めもできます。

 

以前悪口に反論していたのは、その悪口を聞いた第三者がその内容を鵜呑みにして自分の印象が悪くなるのではないかと心配していたからです。でも、悪口は言ってる人が一番悪く見られるし、自分が正しいと自信を持って生きていれば周りの人達もきっと分かってくれるから。

 

誰かに悪口を言われたり理不尽なことで傷付けられることは年を重ねても無くなることはありません。だから、そういう状況になったときに自分を信じてあげられる強い人間でいたいと思います。