Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

アドラーの教え

先日、参加している吃音当事者会の例会でアドラー心理学を学びました。事前知識として「嫌われる勇気」という本を読んだのですが、そこで語られるアドラーの言葉が自分のことを言われているようで心に突き刺さりました。とても深い内容なので印象的な文章だけ抜粋して私の感想と共に書いていきます。

 
アドラーは劣等感という概念を発見したとされていますが、「劣等感」と「劣等コンプレックス」は分けて考えなければならないと注意しています。劣等感それ自体は悪いものではなく努力や成長を促すきっかけになります。一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。この劣等コンプレックスの内容がいかにも自分のことを言い当てられているようで、胸がチクチク痛むのを堪えながら読み進めていきました。

 

劣等コンプレックスを抱えている人は「AだからBできない」と考えます。「学歴が低いから成功できない」というように。このことをアドラーは「見かけの因果律」という言葉を使い、本来は何の関係もないところにあたかも重大な因果関係があるかのように自らを説得し、納得させてしまうと説明しています。裏を返せば「Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ」と言外に暗示していることになります。

 

私も吃音や生まれ育った家庭環境で深く悩まされていたときは「吃音さえなければ...こんな家に生まれてなければ...」と毎日のように考えていました。友達がいない、恋人ができない、仕事を上手くこなせない...これら全て吃音や家庭環境のせいにしていました。今になって思い返すと、とても狭い視野で世界を見ていたと当時の価値観を振り返ることができます。

 

また不幸自慢も劣等感からくるものだとされています。自らに降りかかった不幸を、まるで自慢するかのように語る人。こういう人たちは、不幸であることにより「特別」であろうとし、不幸である一点において人の上に立とうとします。他者に慰めの言葉をかけられても「あなたにはわたしの気持ちはわからない」と拒絶することで、誰もなにも言えなくなり周囲の人は慎重に接するようになります。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとしているわけです。

 

私も「吃音の辛さは当事者にしかわからない!」と言って家族と言い争ったり、母子家庭で高校を卒業できなかったことから大卒の人たちを敵対視したりと、見事にアドラーの言葉が自分に当てはまりました。改めて劣等コンプレックスの塊なんだと気付かされました。下記に印象に残った文章を載せておきます。自分への戒めとしても心に刻んでおかなければなりません。

 

“もちろん、傷を負った人の語る「あなたにはわたしの気持ちがかわからない」という言葉には、一定の事実が含まれるでしょう。苦しんでいる当事者の気持ちを完全に理解することなど、誰にもできません。しかし、自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになります。”

 

長くなりましたが、「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」も勢いで読んだのですが、ここでも印象に残る言葉が出てきたのでもう少しだけお付き合いください。

 

私は現在吃音で悩むことは少なくなり、過去の家庭環境を思い出してストレスを感じることもなくなりました。それなら特に問題はないのではないかと思われますが、アドラーの言葉で思わぬ落とし穴を発見することになりました。

 

“自分の過去について「いろいろあったけど、これでよかったのだ」と総括するようになる。これは「いま」を肯定するために、不幸だった「過去」をも肯定しているのです。”

 

“われわれの世界には、ほんとうの意味での「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。”

 

“人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。”

 

上記の言葉から、私自身悩みを抱えた若者に対して「吃音は確かに辛いけど、それがあるおかげで強くなれるよ」「社会に出てみると複雑な家庭環境で育った人なんて珍しくないよ」などアドバイスしていることがあるけど、それは辛かった過去の感情から目を逸らした発言で、現在悩んでいる彼らにちゃんと向きあえていなかったのではないかと考えさせられました。

 

また前々回吃音当事者会の例会で「結婚したら家族を守るため簡単には仕事を辞められない」という意見に対して、私が「フリーターの親に育てられたけど最低限の生活はできたし、今では僕も自立した大人になれているから人生なんとかなりますよ」と発言しました。それに対して他の会員から「Ryoくんはそれで幸せだった?」と問われハッとさせられました。

 

「どうしてちゃんと働いてくれないんだろう」「自分が将来結婚して子どもを育てる立場になったら絶対自分のような思いはさせない」と子どものころ決意していたのに、このことを忘れての発言だったのです。

 

つらい過去を封印して楽しい思い出だけに囲まれる生き方も必要だと思いますが、現在悩んでいる人に対して軽はずみなアドバイスはしないよう心掛けていきたいです。

 

最後になりますが、「嫌われる勇気」は吃音のことにも触れられていて、吃音以外にも劣等コンプレックスを抱えている人にはオススメしたい一冊です。どこの本屋でも売れ筋ランキング上位に入っているので、気になった方は是非読んでみてください。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え