Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

2018年の振り返り

年始に立てた目標と実績

ハーフマラソン出場→2回出場。

②空手の大会出場→✖️

③開脚で頭を床につける→✖️

④自転車で一泊二日の旅に行く→✖️

⑤自転車で知多半島一周する→✖️

⑥バイクで長野にキャンプ行く→✖️

⑦『路上に咲く花』弾き語り→✖️

⑧様々な挑戦・冒険をする→大学入学、吃音の世界大会参加、転職など。

 

大学の実績(4月~12月)

レポート→1/16本提出

スクーリング→4/14回出席

※1年時登録科目より

 

ランニングの実績

ランニング総距離327.1km(57回)

1回目ハーフ 2時間15分09秒

2回目ハーフ 2時間22分01秒

 

反省

①空手の大会出場、開脚未達成の原因

11月まで勤めた前職の出張が多かったため、空手の稽古に行けず、大会の申し込みも出来なかった。開脚ストレッチは自宅にいるときは毎日出来ていたが、出張に行くたびに途切れた。継続しては出張で途切れての繰り返しで、モチベーションの維持が難しかった。

→転職をして「毎日家に帰れる&毎週土日休み」になった。2019年は”必ず”達成する。

 

②自転車旅未達成の原因

いきなり長距離走るのはハードルが高い。先月紅葉を見るため片道30km走ったが、それで筋力的精神的に少しキツイくらいだった。無理せず少しずつ距離を伸ばしていく。

→2019年は総距離80kmを目標にする。

 

③バイク旅未達成の原因

準備はほぼ整っているが、いきなり長野は遠いということもあり行動に移せなかった。

→まずは犬山辺りで一泊二日のキャンプを経験する。

 

④弾き語り未達成の原因

学校、空手、仕事とマルチタスク状態なので新しくギターを始める余裕がなかった。学校を卒業して、空手もピークを過ぎて、新しいことを始める余裕が出てくるまで延期する。

→ギター弾けるようになりたいという憧れはある。もしいつか始めるときは、独学ではなく教室に通い本格的に習う。あるいは、合唱にも少しだけ興味がある。

 

⑤大学の反省

スクーリングはまずまず参加出来たが、レポートが全然進まなかった。参考文献を図書館で借りて、返却期限の2週間以内に書こうと思っても全く手をつけられなかった。しかし、文字数を埋めて内容がよほど的外れでは無ければ通ることが分かったので、良い文章を書くことに拘り過ぎず、完成させることを一番に考える。科目終了試験はどの設題が出ても答えられるように準備しておく。

例会の反省

毎年1回は吃音当事者会の例会を担当させて頂いてます。今回4度目の担当で「自信」に関する心理学をテーマに例会を行いました。

 

始めにアイスブレイクとしてレクリエーションを行いました。絵を使ったしりとり、背中に貼られた生き物の名前をジェスチャーで伝える、口頭で紙に描かれた絵の特徴を説明して同じ絵を描いてもらうといった遊びをしました。約30分ほどで終わりましたが、皆さん楽しそうに交流出来ている様子でした。

 

次に手作りの資料を用いて自信に関するデータや心理学について説明しました。A4用紙1枚にちょうど収まり、図も多用されていて割と見やすくできていたと思います。文字が小さくて多少読みにくかったことと、色の問題で囲い線が消えてしまった部分があるので注意したいです。

 

今回の資料が完成したのが当日の昼頃で、進行の練習を出来なかったことが本番で苦しむことになりました。資料をどのように説明するか全く考えておらず、途中で頭が真っ白になり数分間沈黙に陥った時間が何度かありました。

 

とりあえず資料の内容を順番に読んでいったのですが、専門用語がいくつか出てきたのでそれを説明したり理解する時間を作ればよかったと反省しています。資料の半分以上を一気に読み上げてしまったので、もっと説明を細かく区切り「ここまでで何か質問はありますか」と尋ねられればよかった。

 

そして今回は「根拠なき自信」というのがテーマだったけど、なぜ「根拠なき自信」が必要かということを私があまり理解できていなかったために説明することが出来なかった。参加者の方々にも疑問を残したままになってしまいました。

 

専門用語(自己効力感など)に関する説明文も入れておけばよかった。口頭で説明するつもりでしたが、予想以上に吃音の症状が重かったのと頭が真っ白になっていたのでしっかり説明が出来ませんでした。そして、自己効力感を高める要素の例では吃音と絡めて説明すれば分かりやすかったかなと思います。あえて吃音の話はしないでおこうと考えたのが失敗でした。

 

最後は初参加の人もいたので吃音相談を含むフリートークの時間にしました。直前までの進行が上手くいかず落ち込んで消極的になっていましたが、他のベテラン参加者たちが援護してくれたおかげで無事にトークも弾み例会を終えることができました。

 

とはいえ、例会担当で報告文を書かないといけないにも関わらず自分のことで頭がいっぱいで他人の話を聞く余裕がありませんでした。他人の話を聞きながら進行も考えて...とマルチタスクになっていたのが原因の一つだと思います。あらかじめ段取りをしっかり考えておけば、話すときはしっかり話し、聞くときはしっかり聞くことができたと思います。

 

例会担当をするのはこれで4回目なので、資料さえ作ればあとは何とかなるだろうと楽観的に考えてしまっていたのも事実です。今回の件で自分の苦手なことを改めて確認できてよかったです。

 

次に例会担当するときの解決案

・皆に配る資料とは別に進行用台本を用意する

・専門的な知識を説明するときは動画を活用する

※パワーポイントに音声をつけて流すなど

 

その他

自己紹介は基本的に毎回すればよい。そして名前を必ずメモする。出来れば近況報告も。

例会のために使用した参考文献などがあれば資料に載せておく。リラックス出来るように音楽を例会の間流しておく。

 

昔は進行が上手く出来ないと「吃音の後遺症」「発達障害」と大きな概念で考えて自分を判断してしまうことが多かった。失敗を分析して原因を詳細に突き止めることで、1つずつ対処していきたい。もちろん原因は1つではないと思うから、仮説と検証を繰り返しながら自分のことを知り問題解決できる力を育みたい。

みんなの学校

「みんなの学校」というドキュメンタリー映画を観ました。これは、大阪市にある大空小学校という公立小学校の2012年度をまるまる1年間を追った内容です。特別支援教育が必要な子、自分の気持ちをコントロール出来ない子、みんなが安心して同じ教室で学べる学校を先生や保護者、地域の人達みんなで作りあげている様子が映されています。
 
上映後には、撮影時に校長先生をされていた木村泰子先生によるトークショーが行われました。関西人ならではのジョークや毒舌を交えたトークはとても面白くて、会場の空気を終始和やかにしていました。教育現場で実際に子どもと深く関わってきたからこそ言える言葉には重みがありました。
 
僕も小・中学生の頃は学校から問題児扱いをされていました。毎日遅刻して、傷害事件を頻繁に起こし、授業中は勝手に席を移動して課題に取り組まず、グループ活動には一切協力しないなど最低な子供でした。
 
周りからは「落ちこぼれ」と呼ばれていたけど、本当は「普通になりたい」とばかり願っていました。みんなと同じように授業を受けて、みんなと同じように遊んで、みんなと同じような学校生活を送りたかった。でも、授業は全然理解出来ないし、吃音関係無く人と話すことが苦手で友達も出来ず、グループ活動では「俺と関わるのは嫌だろうな」と自分から輪に入ることを避けてひたすら寝たり窓の外を眺めて授業放棄していました。先生に注意されても舌打ちして無視したりと、反抗的な態度を取る不良のフリをすることで「できない」のではなく「やらない」のだと自分に言い聞かせていました。
 
この頃は毎日イライラしていて、少しでも気に入らないことがあるとすぐ暴力を振るっていました。感情のコントロールが出来なかったというより、暴力でしか問題を解決したり自分の気持ちを表現することが出来なかった。自分を守るための武器が、暴力しかなかった。
 
大空小学校の先生は、唯一の校則である「自分がされて嫌なことはしない。人に言わない」を子どもが破ったときは、その理由をしっかり聞いて、そうしなければならなかった子どもの気持ちを理解する努力をしていました。その上で、悪いことは悪いと教え、再び問題を起こさないように「やり直し」をさせていました。
 
僕は最低な子供で学校は居心地の悪い場所だったけど、もしこんな先生たちが居たらもっと安心して学校に行けていたかもしれません。この映画は、問題を起こしていた子どもの頃の僕を受け入れてくれて、まだどこか大人になりきれていない不安定な心を優しく包み込んでくれた気がしました。上映中ずっと涙が止まらなかった。
 
大人になった今でもまだまだ感情のコントロールが出来ずに失敗ばかりです。でもそんな自分を受け入れてあげて、何度失敗しても「やり直し」できることを忘れずに生きていきたいと思います。
 
「みんなの学校」劇場予告篇

若いから挑戦できる?

先日、誕生日を迎えて27歳になった。若いのか、若くないのか、よくわからない年齢。アラサーと呼ばれる歳になってしまったことに自分でも驚いてしまう。

 

肉体的にも精神的にもまだまだ若いつもりで、挑戦したいことはたくさんある。来月から新しい職場で働くこともその一つ。製造業界から福祉業界への転身。経験は何一つ無く、給与もかなり下がる。周りの人達から「若いっていいね。新しいことに挑戦できて」とよく言われた。

 

「若いから挑戦できる」という言葉に、違和感を感じてしまう。裏を返せば「歳を取ると挑戦できなくなる」と言われている気がするから。

 

そう言いたくなる気持ちは理解できる。一般的に30代以降になると責任の重い仕事を任されたり、人によっては育児にも迫られ、新しいことをするための時間や精神的な余裕が無くなってくる。

例えば給与は安いけどやりがいのある仕事がしたいと考えても、それまでに築き上げた会社での立場や現在の生活を守るための収入を手放すことを考えれば、転職に踏み切れない人の気持ちはよくわかる。愛する妻と子供がいればなおさらだ。

 

ここまで書いて、ふと気付いた。最初に「若いから挑戦できる」と言ってきて違和感を覚えた人は40代で独身だった。ぼくはその人に対して「歳を取ったからではなく、”現状に満足している”から挑戦できないんでしょ」という感想が頭に浮かんだのだ。本人は深い意味なくいってるのかもしれないが、「この歳になると人生消化試合でワクワクすることは訪れない」と将来に対する不安な気持ちを起こさせられてると感じてしまうのだ。

 

昔は結婚して子供を作り、一軒家を建ててマイカーを所有することが幸せのゴールだと勘違いしていた。それを実現するためにも、20代前半までに定職に就いて貯金を始めなければいけないと思い込んでいた。今はそんなものに一切興味が無い。現状に満足せず、多くの人がしない挑戦をしていきたい。

 

※僕が40代になる頃には、落ち着いた生活を欲しているかもしれない。結局、そのときしたいことをすればいいだけの話である。

同じ空気を共有したい

盆休み前半は4日間に及ぶスクーリングを受けてきました。行く前は「4日間連続はキツイ」って思ってたけど、想像以上に授業が楽しくて最終日が来るのがとても寂しかった。

 

授業はレクリエーションワークという内容で、実際に自分達でレクリエーションを考えたり実践していました。例えば初日はすごろくを各グループごとに作りました。マス目には「前の人とアルプスいちまんじゃくをする」「尻文字で自分の名前を書く」「次の番が来るまで南無阿弥陀と唱える」など遊び心が満載でした(笑)自分じゃ絶対思いつかないな〜。

 

レクリエーションはどれも簡単で特別な道具が無くても出来るものばかりでした。初対面の人とすぐに打ち解けたり、楽しみながら運動や脳トレが出来たりするので吃音活動にも積極的に取り入れたらいいなと思った。

 

実は3日目の朝、今回のスクーリングがあまりにも楽しくて涙が出てきて、学校行く前に公園で一人泣いていました。皆と仲良くワイワイすることなんて今まで全然無かったから、数日前会ったばかりの人達とこんなにも笑って楽しい時間を過ごせるなんて思わなかった。

 

今回参加した学生10人は年齢が近い人ばかりで明るくノリも良く、授業中よく笑いが起きていました。僕は特に積極的に発言していません。それでも、皆と同じタイミングで笑って、話している人がいたら相槌を打って、それだけで楽しい空気を共有することが出来ました。昔は「自分も何か話さなければいけない」と思い込み、それでも話せないときは疎外感を感じていました。口下手なりの楽しみ方も出来るようになってきたなと感じています。

 

場を盛り上げるためのジョークやイェーイとかも苦手だと思い込んでいたけど、スクーリング中は皆の波に乗って少しはハジけることができました。本当に皆と仲良く楽しくしたいと思ったときは、人って変われるんだなと自分でも驚いています。

 

今でもスクーリングの余韻が残っていて、本当は僕もこうやって誰かと一緒にワイワイ楽しみたかったんだと気付くことができました。「自分は一人が向いている」と決めつけて、皆が仲間と楽しくしている時間を僕は自分磨きや一人旅などの時間に当てようと考えていました。確かに一人は楽だし好きなことができる。でも、それだけだといつまでたっても心の溝は埋まらないんですよね。

 

最近吃音関係の行事でフリートークの場面がよくある。自分にとって興味がない話題が出てきたときは完全にOFFになって、その輪から一歩下がってしまうことがある。興味のない話を聞いても理解できないし無駄だと考えていたけど、そういう話でさえ自分の気持ち次第で楽しむことが出来るんだと思います。もう冷めた目で傍観するのはやめよう。

 

では。

仕事とライフスタイル

先日、部長が朝礼で「しばらく仕事が立て込んでいて、皆には残業や休日出勤をしてもらうことになる。もしそれで不満に思う人がいるなら、辞めてもらって結構。モチベーションの無い人はうちの会社にいらない」と話していました。正直、この話を聞いた直後は不快な気分になりました。

 

僕は田舎の町工場で働いているのですが、大型設備を取り扱う設備屋なので全国各地の現場で設備の搬入・据付工事や定期メンテナンスをするため2週間〜1ヶ月程度の出張にたびたび行かなければなりません。具体的に言うと、1年の1/3以上は自宅を留守にしています。

 

ここ2年間ほど、出張や休日出勤のために自分がやりたいことが出来ない欲求不満の状態が続いていました。例えばサークル活動や興味のあるイベントに参加できない、定期的に空手の稽古に通えない、大切な人と過ごす時間を取れないなど。さらに今年から通信課程の大学にも通っているのですが、スクーリングや試験は出来るだけ出張の無い時期を狙って予定を入れるようにしていますが、やはり都合が合わず学校に行けない日々が続き進行が遅れています。

 

しかしながら、出張があるおかげで学校に通えるほどのお金も貯金できたし、全国各地を観光できたり、空手の出稽古や他の言友会の例会にも参加することができました。職場は吃音の理解もあり、同じ吃音仲間も働いていて、仕事自体にもやりがいがあって、そこそこ居心地の良い環境ではあります。

 

だから多少の不満はあるものの、良い部分もあるので何とかモチベーションを保ちながら今の仕事を続けてきました。ですが、やはり20代のうちに空手の稽古をしっかりして全国大会に出場したい、大学にも毎月通いたい、サークル活動に参加したり趣味に使う時間がもっと欲しい。いつかは辞めようと思いながらも、その時期を決められない状況にいました。

 

そのような状況の中で、最初の営業部長の発言は不快に感じてしまいました。仕事が忙しくなり残業や休日出勤を強いられるということは、その分プライベートの時間を犠牲にしなくてはならないということ。仕事が好きで、仕事に生きる人生を選んでいる人はいいかもしれません。ですが、皆それぞれ家族がいて、趣味があって、プライベートの時間を大切にしたいと思っている人もいるはずです。

 

仕事に波があるのは仕方ない。暇なときは17時に仕事は終わり土日も休み。反対に忙しい時期もそれはあるだろう。それがこの業界の体質なら、嫌だなと内心思いつつも特に不満を口に出さず働いたと思う。なのにそれぞれの事情を何も考えない、従業員のことを会社を動かすための道具としか思っていないような発言にはモチベーションを下げられました。その発言をした人は60歳越えていてラグビーをしていた人だったので、昔ながらのスパルタ根性系の「やる気がないならやめちまえ!」という鼓舞の仕方をしたかったのかもしれません。本人は皆の士気を上げるための発言だと思い込んでいるかもしれませんが、受け取る側の気持ちを考えず脅しのかかった言い方では従業員のモチベーションを上げることはできません。一流企業のエピソード見ると、従業員のことをしっかり考えた思いやりのある言葉が不況や繁忙期を乗り越える力になっていることが多いから。

 

とはいえ、部長の発言を悪く受け止めてイライラするのは良くないので「これから仕事が忙しくなる。自分のライフスタイルを考えて、もし仕事より大切な趣味や家族があるならそちらを優先しなさい」という、一見厳しそうに見えて思いやりのある言葉だと受け取りました。特に僕は自分の意思を尊重出来ず流されてしまうことが多いので、あえて怒りの感情を誘発することで本音を引き出し従業員の意思を確認しようという粋な計らいだとポジティブに考えています。

 

ということで、どれだけ長くても来年の春(早ければ今年いっぱい)を目処に転職しようと思います。今の仕事はやりがいはあるけど、自分のライフスタイルには向いていないから。

 

自分の生き方をしっかりと考えるきっかけを与えてくれた部長には感謝しています。

映画版『志乃ちゃん』感想

吃音当事者会のイベントで映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を観てきました。漫画版の方は数年前に吃音界で話題になっていたので読んだことがありまが、改めて映像として観ることで、吃音で苦しんでいた頃の自分と重なり当時の感情を思い出すことが出来ました。

 

※下記からネタバレ含みます

 

 

 

朝起きたときからずっと自己紹介の練習をしているというシーンから始まります。入学式当日は吃音で悩む学生にとって一番恐怖で神経がすり減る1日になります。「明日」が来るのが怖くて前日は一睡も出来なかったという経験が僕にもあります。

 

そして自己紹介本番。自分が絶対に話さないといけない局面が少しずつ確実に迫ってくる時間は恐怖で気が気ではありません。僕の場合、最初の5〜10秒ほど難発が出たあと話せることが多かったので、最初の一言が出るまでが勝負でした。そして自分の番が終わった瞬間の安堵感は計り知れず、その後の他人の自己紹介なんてほとんど頭に入ってきません。

 

志乃ちゃんはかなり重度の吃音なので、自己紹介では失敗する経験が多かったと思います。高校に入学して最初の自己紹介、まだみんな自分のことを「普通の人」として見てくれている中で、 普通ではない自分の一面を無理やりさらけ出さなければいけない。その恐怖は、想像するだけで辛くなってきます。

 

そんな中で、志乃のことを一切馬鹿にせず、でも思ったことはストレートに伝えるかよの存在はとても大きかった。かよ自身がミュージシャンになるという夢を抱きながら音痴という理不尽な状況でもがいていたので、同じように欠点を持つ志乃は少し気になる存在だったと思います。

 

志乃が校舎裏で一人でお弁当を食べながら、妄想の中で友達とお弁当を交換したり、新しくできたカフェの話をするシーン。妄想が頭の中だけにとどまらず、本当に隣にいるかのようにおかずをあげるふりをしたり実際に声に出して会話をしているという場面がありました。

 

実は僕もこういうことがたまにあります。吃音者あるあるなのか、他の人には聞いたことないのですが...。吃音がある自分の中にはもう一人の自分(普通に話せてクラスの皆と打ち解けている)がいて、意識は内側の中にいてその中で話しているつもりが現実世界に声が漏れている状況ではないかと考えています。現実とパラレルワールドのはざまにいる状態と言えばわかりやすいのかな。

 

志乃が初めてカラオケで歌ったシーン。歌声を聴いたらゾワァ〜っとしてきました。志乃の中に、何か宝物を見つけたような感覚がしました。

 

気になるのは、キクチが現れてからかよを避けるようになってしまうシーン。映画を見終わったあと、「なんで志乃ちゃん急に避けるようになったん?」とやはり疑問に思っている人がいました。正直、僕もそれはわからないし、キクチやかよにもそれはわからなかったと思います。

 

僕の推測では、唯一心を許せるかよとの楽しい時間がキクチが現れたことで脅かされてしまったことに対する悲しさ、かよが自分以外の人と楽しくしていることへの嫉妬、そして、そう感じてしまう自分への苛立ちなどの感情がグルグルしていたんじゃないかと思います。キクチがアイスを奢って「俺のせいだよね...?」と訳もわからず謝っているのに対して「なんで!」と言ってたので、「私が勝手にネガティブになってるだけなのになんで謝るの」というニュアンスなのかなと解釈してしています。キクチは何も悪くないこと、志乃は分かってると思うから。もしかしたら「言わないと気持ちは伝わらない」ってことを客観的な視点で見せることで観客に伝えたかったという作り手の意図もあるかもしれない。特に吃音のある人は視野が極端に狭くて、自分の世界を中心に物事を見てしまうことがあるから。

 

それでも、何が何だかわからず理不尽に志乃に避けられながらも、必死に志乃に歩み寄ろうとするかよには心を打たれました。そして一人で文化祭に出て歌う勇気。初めは路上でギターを弾くことすら出来なかったのに、すごい成長だと思います。しかも自分で詞を書いたオリジナルソング。しのかよ二人の想いを投影した歌詞には気持ちがすごく伝わってきました。

 

大人なった今の僕は、自分で環境を選んで調整できるから吃音で悩むことはほとんどありません。ある意味、辛かった記憶を都合よく忘れている状態でもあります。この映画を観て当時の感情を思い出すことができたから、この気持ちを忘れずに現在悩んでいる当事者の方々と向き合っていきたいと思います。