Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

当事者意識を持つ

2年以上前に書いた「大人になって気付いた親の気持ち」という記事の中で、授業料が払えず高校を卒業できなかったという話をしました。

 

卒業式当日は、母も罪悪感を感じてか「ごめん」と素直に謝っていました。何事も自分が悪いとは認めない人で、謝罪の言葉なんて聞いたことがなかったので少し戸惑いました。それで僕も強がりを言って「別にいいよ」と答えたというところまでは書きました。

 

でも徐々に悔しさがこみ上げてきて、数日経ったある日、つい母に「どうして授業料払えないなら、もっと早く言ってくれなかったんだよ。俺、バイトしようかって聞いたじゃん。あんたは勉強頑張ってればいいよって言われたからその言葉を信じて頑張ってきたのに...」と責めることを言ってしまいました。

 

すると母は「終わったこといつまでもうだうだ言っとんなや!そんなこと言っても何も変わらんやろいや!」と僕の気持ちなど構うことなく不快感を露わにしていました。このとき、ようやく気付きました。この人は僕に何もしてくれない。親の言うことなんて、絶対に信じてはいけないって。

 

正直、授業料の件について当時は親が払うものだと思い込んでいました。それは大人が解決する問題だし、子供の僕はただ勉強をしていればいいと考えていたのです。

 

でもそれって、ただ現実から目を逸らしていただけなんですよね。僕も心の中では、「本当に授業料払えるのかな」と疑いを持ち続けていました。自分の学校のことなのに、他人事のように傍観していただけだったんです。

 

あのとき本当にすべきだったのは、勉強を頑張ることではなく親と授業料の件についてしっかり話し合うことでした。そして、親にその気がないと判断したなら自分でバイトをして学費を稼ぐべきだったんです。

 

話が変わりますが、吃音で悩んでいたときも自分の力で問題解決しようとせず、「いつか特効薬が開発されて吃音が無くなってから人生を取り戻そう」「いつか吃音の認知度が上がれば周りのみんな理解してくれるかもしれない」と自分の人生を他人任せにしていました。

 

自分の力で問題に取り組み解決しようとする心構え、つまり当事者意識に欠けていたのです。

 

その後しばらくは未納分の学費を自分で払う気持ちになれませんでした。でも大学に行きたいという気持ちが捨てきれず、時間はかかっても自分で学費を稼ごうと決心しました。それからはあっという間で、高校の学費は一年足らずで払い終え、その後二年間かけて大学入学に必要な資金を集めました。

 

学費にしても吃音にしても、他の人よりスタート地点が遅れていたり道中に障害物が多いだけです。それを受け入れられずゴネてたら、一歩も先に進めない。現実を受け入れて踏み出せば、あとはゴールに向かって突き進むだけ。

 

そもそも、どんなにスタート地点が遅れていて長く曲がりくねった道のりでも、その道のりを進めること自体が恵まれていることだと思います。スタート地点にすら立てない人が、どれだけたくさんいるんだろう。

 

他人がどういうコースを走っているかに気をとらわれず、僕は自分の道をひたすら突き進みたいと思います。