Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

言友会と出会い気付いたこと

2012年10月27日(土)、SNSで知り合った同い年の吃音のある男性に誘われて初めて言友会の例会に参加しました。

 

例会当日は、会場がある最寄駅で誘ってくれた男性と待ち合わせして一緒に向かいました。その男性とはその日が初対面でしたが、当時の僕より吃音症状が重くて、第一声が出てくるのに10秒以上かかっていたと思います。

 

一方の僕は、彼と比べればスラスラ言葉は出ていたと思います。「りょうくんの吃音は軽い方だね」と彼に言われたことを覚えています。ただそれは、まだ人前でどもることに抵抗があり自分の言いやすい言葉だけを選択して話していたので、そのように見えていただけかもしれませんが。

 

例会には、僕を含めて12名が参加していました。10代〜30代が約半数いて、若い参加者が多いことに驚きました。

 

例会には、僕とは比べ物にならないほど症状の重い人が何人も来ていました。それでも皆、その人が話すときは黙って話に耳を傾けていたのが印象的でした。

 

参加者全員がどもるという不思議な空間に緊張もほぐれてきて、初めて自分の気持ちをさらけ出すことができました。気付けば自分の口から次々と言葉が溢れていました。自分がこんなにも話せるなんて知らなかった。

 

今まで誰も、僕の悩みを理解したり受け止めてくれる人はいなかった。でもここでは、皆が話を聞いてくれて、慰めてくれる。ようやく自分の居場所を見つけることができました。

 

それからというもの、例会がある日は毎回参加するようになりました。そして沢山の吃音のある人達と話すことで、色々なことに気付くことができました。

 

一番は、どもることは恥ずかしいことではないと気付けたこと。言葉につまりながらも自分の気持ちをしっかりと伝えようとしている皆の姿を見て、すごく立派だと感じたし、むしろカッコいい思えたから。

 

仕事や恋愛、趣味と自分のやりたいことをしている人も沢山いました。「吃音だから〇〇できない」というのは、全部自分の思い込みだったと気付きました。

 

次第に僕の気持ちにも変化が出てきて、周りの身近な人たちにも吃音のことをオープンにできるようになりました。僕の場合は直接言葉で伝えるのが難しかったので、SNSに「僕は吃音という言語障害があります」という風に投稿して、皆に知ってもらいました。

 

「吃音があると知られたら、周りから障害者と差別されるかもしれない」と思っていたけど、それは僕自身が障害者に対して偏見を持っていて差別していたのかもしれません。吃音は僕という人間の一部であり、障害者という人間ではないから。

 

そのうち言友会メンバーとプライベートでも遊ぶようになり、ナガシマスパーランド、京都、下呂温泉など色んなところに行きました。そうして充実した日々を過ごすうちに、また一つ大切なことに気付きました。

 

僕はどもることに悩んでいたのではなくて、そのことを気にするあまり友達と遊んだり、恋愛をしたり、映画館に行ったり、飲食店に入ったりなど他の人が当たり前にしていることが出来ないことに悩んでいたのだと気付きました。吃音自体は、ただ自分のタイミングで思うように言葉が出てこないという症状に過ぎないから。

 

だから、これからの人生は吃音にとらわれず自分のやりたいことをしていきたい。できるできないじゃなくて、やるかやらないか。

 

世界にはもっと厳しい状況にいながらも自分のやりたいことを実現している人がたくさんいる。だから、大丈夫。たかが吃音、そんなものに自分のやりたいことの邪魔はさせない。

 

強がりじゃなく、心から「吃音があったおかげでこんなことができた」と言えるように、これからも挑戦し続けていきます。