Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

叱られて気付くこと

先日映画を見るためショッピングモールに行ったのですが、町内会写真サークルの作品が展示されているコーナーがあり見慣れた名前が目に入りました。今年の一月まで同じ職場に勤めていて私もよくお世話になっていた元親方の作品です。

 

京都の伏見稲荷を撮ったと思われる写真。難病を患い定期的に京都へ通院していると話していたのでそのときに撮影したのかもしれません。確か古希を迎える年齢ですが好奇心が旺盛で何事にも興味がある人でした。以前京都でサークルの合宿をしたという話をしたらわざわざ同じ施設を予約して宿泊してきたそうです。

 

私が入社した数ヶ月後からこの人の手元として一緒に仕事することが多くなりました。入社前から「職人気質で頑固者。すぐ怒るし一緒に仕事するのは大変」という噂を聞いていたのですが、確かに毎日のように怒鳴られていました。「効率が悪い」「どうしてこんなことも理解できないんだ」「仕事が覚えられないなら辞めればいい」などボロカスに言われる日々。

 

それでも反抗せず素直に叱責を受け止めながら地道に努力していたのが評価されてきて、「一回言って覚えられないなら何回でも言ってやる。他の人なら一回言ってダメなら見捨てるけど、俺はお前に情が入ってるからな」と言ってもらえました。

 
「〇〇君いいねって褒めるだけではダメなんだ。怒られないと覚えないんだよ」と話しているのを聞いて、中学生のときの授業の一幕を思い出しました。授業中、一部の生徒が私語をしていると先生が突然「バンっ」と黒板を叩き生徒を叱りつけました。そして一通り説教が終わると「俺だって本当は怒りたくないよ。皆と楽しく授業したいよ。でも、怒らないと分かってくれないから」と悲しげに話していたのが印象的でした。
 
失敗したときや間違った方向に進もうとしているとき、こうして叱ってくれる人がいるのはありがたいことだと思います。高校生のとき、風邪をひいて午後から出席をした際に「体調が悪かったけど少し休んだら良くなったので出てきました」と生徒指導の先生に説明したら「いかにも自分を正当化した言い訳だな。少し休んで良くなるようなら始めから出てこれるだろ」と怒られたのが心に響きました。それまで一度も他の先生には怒られたことがなかったので少しショックを受けましたが、自分の甘さに気付かせてもらえて感謝しています。
 
 10代の頃は怒られるたびに「もっと優しい言い方できないの?こっちだって一生懸命やってるのに...。もし自分が人に教える立場になったら決して怒ることはせず優しく教えるようにしよう」と考えていました。ですが社会に出て実際に厳しく言われたことで学べた経験があるからこそ、ときには厳しく接する必要もあると気付くことができたのでした。
 
 p.s.
元親方の話に戻りますが、口が悪くてすぐ怒るけど仕事のことを真面目に考えていて効率の良い方法を常に模索している人でした。プライベートの話も積極的に聞いてきてくれたりたまに食事に連れて行ってもらったりと私にとっては優しくて思いやりのある人でした。
 
悪いところばかり注目して陰口を言う人もいますが、そういう人たちの声を鵜呑みにせず自分がその人と一緒にいてどう感じるかという感性を大切にしていきたいです。