Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

言友会と出会い気付いたこと

2012年10月27日(土)、SNSで知り合った同い年の吃音のある男性に誘われて初めて言友会の例会に参加しました。

 

例会当日は、会場がある最寄駅で誘ってくれた男性と待ち合わせして一緒に向かいました。その男性とはその日が初対面でしたが、当時の僕より吃音症状が重くて、第一声が出てくるのに10秒以上かかっていたと思います。

 

一方の僕は、彼と比べればスラスラ言葉は出ていたと思います。「りょうくんの吃音は軽い方だね」と彼に言われたことを覚えています。ただそれは、まだ人前でどもることに抵抗があり自分の言いやすい言葉だけを選択して話していたので、そのように見えていただけかもしれませんが。

 

例会には、僕を含めて12名が参加していました。10代〜30代が約半数いて、若い参加者が多いことに驚きました。

 

例会には、僕とは比べ物にならないほど症状の重い人が何人も来ていました。それでも皆、その人が話すときは黙って話に耳を傾けていたのが印象的でした。

 

参加者全員がどもるという不思議な空間に緊張もほぐれてきて、初めて自分の気持ちをさらけ出すことができました。気付けば自分の口から次々と言葉が溢れていました。自分がこんなにも話せるなんて知らなかった。

 

今まで誰も、僕の悩みを理解したり受け止めてくれる人はいなかった。でもここでは、皆が話を聞いてくれて、慰めてくれる。ようやく自分の居場所を見つけることができました。

 

それからというもの、例会がある日は毎回参加するようになりました。そして沢山の吃音のある人達と話すことで、色々なことに気付くことができました。

 

一番は、どもることは恥ずかしいことではないと気付けたこと。言葉につまりながらも自分の気持ちをしっかりと伝えようとしている皆の姿を見て、すごく立派だと感じたし、むしろカッコいい思えたから。

 

仕事や恋愛、趣味と自分のやりたいことをしている人も沢山いました。「吃音だから〇〇できない」というのは、全部自分の思い込みだったと気付きました。

 

次第に僕の気持ちにも変化が出てきて、周りの身近な人たちにも吃音のことをオープンにできるようになりました。僕の場合は直接言葉で伝えるのが難しかったので、SNSに「僕は吃音という言語障害があります」という風に投稿して、皆に知ってもらいました。

 

「吃音があると知られたら、周りから障害者と差別されるかもしれない」と思っていたけど、それは僕自身が障害者に対して偏見を持っていて差別していたのかもしれません。吃音は僕という人間の一部であり、障害者という人間ではないから。

 

そのうち言友会メンバーとプライベートでも遊ぶようになり、ナガシマスパーランド、京都、下呂温泉など色んなところに行きました。そうして充実した日々を過ごすうちに、また一つ大切なことに気付きました。

 

僕はどもることに悩んでいたのではなくて、そのことを気にするあまり友達と遊んだり、恋愛をしたり、映画館に行ったり、飲食店に入ったりなど他の人が当たり前にしていることが出来ないことに悩んでいたのだと気付きました。吃音自体は、ただ自分のタイミングで思うように言葉が出てこないという症状に過ぎないから。

 

だから、これからの人生は吃音にとらわれず自分のやりたいことをしていきたい。できるできないじゃなくて、やるかやらないか。

 

世界にはもっと厳しい状況にいながらも自分のやりたいことを実現している人がたくさんいる。だから、大丈夫。たかが吃音、そんなものに自分のやりたいことの邪魔はさせない。

 

強がりじゃなく、心から「吃音があったおかげでこんなことができた」と言えるように、これからも挑戦し続けていきます。

人生は自分の心を映し出す鏡

f:id:ichigeki1011:20180614234732j:image

 

久しぶりに読んだら泣けた。ここ数日、自分のやりたいことが出来ない状況が続いたり、今までに色んな人に言われた傷付く言葉を思い出してはイライラしたりで、心がやすらぐことがなかった。

 

そして昨日、自分の中で何かがはじける音がして、とうとう感情を抑えることが出来なかった。ひどく後悔したし、そんな風になってしまう自分が怖かった。

 

頭を冷やそうと自分の部屋に閉じこもっていたとき、ふと本棚の片隅にあったこの本が目に入った。気付いたときには読み始めていた。

 

「人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気付かせてくれるために起こります。そして、あなたに解決できない問題は決して起こりません。あなたに起きている問題は、あなたに解決する力があり、そしてその解決を通じて大切なことを学べるから起こるのです。」

 

現在の境遇が受け入れ難くて、毎日とても苦しかった。自分の意思を尊重できず流された結果のこととはいえ、結局は自分で選んでしまった道でもある。人生で初めて後悔という感情を味わった。

 

そんなときだからこそ、上記の言葉は心に沁み渡った。自分がいま、一番必要としている言葉だったから。

 

辛いことはたくさんある。それでも、それのおかげで気付けたこともたくさんある。自分の身に降りかかる困難は、全て起こるべくして起こっていて、何かを気付かせてくれるために起こっているのだとしたら、どんなことも受け入れられる気がする。

 

もうひとつ、「ゆるす」ことについて書かれていた内容も大切なことを気づかせてくれた。

 

「『ゆるす』とは、過去の出来事へのとらわれを手放し、相手を責めることをやめ、今この瞬間のやすらぎを選択すること。」

 

自分の周りには「ゆるせない」人がたくさんいた。毎日その人たちのことを考えて心の中で責めては、一人で苦しんでいた。

 

でもそんな毎日、もうコリゴリ。だから、もう「ゆるす」ことにしよう。他の誰のためでもなく、自分のために。苦しみから解放されて、自分の人生を生きるために。

 

私はあなたをゆるします。私自身の、自由のために。

私はあなたをゆるします。私自身の、幸せのために。

私はあなたをゆるします。私自身の、やすらぎのために。

私の吃音歴(発吃~言友会入会前)

吃音はいつから?

最初の記憶は小学校5年生のとき。駄菓子屋で同級生と話しているときに難発で声が出てこなくなり「早く言えよ」と突っ込まれた。

母や祖父母によると、小学校3年生のときに激しく吃る同級生がいて、その子の真似を一時期していたことがあったらしい。それ以来、「あんたが吃るようになったのは、あのとき真似をしたから移ったんだ」と思い込んでいて、私の吃りの話題が出るたびにそのことを責められていた。

 

吃音を意識するようになったのは?

中学生になり連発がよく出るようになった。最初は気にせず話していたが、同級生に真似をされてからかわれたり野球部の仲間に「なんで話すときそうなるん?」と言われたりして、徐々に意識するようになった。次第に症状も酷くなり、自分から話すことも自然と減っていった。

 

高校生活はどうだった?

高校入学後は、自分が吃る姿を絶対に他人に見せないようにしていた。人と話す機会を極力避けて、同級生に何か話しかけられたときは愛想笑いするか聞こえないふりをして無視をすることが多かった。周りからは無口で無愛想な奴に見えていたと思う。その結果クラスで孤立することになるが、「人前で吃るくらいなら友達なんていらない」と当時は思っていた。

この頃は吃音について何も知識が無かったので、吃るのは「気が弱いから」「頭の回転が早くて言葉にするときそのスピードについていけないのではないか」などと考えていた。そんな自分を変えたくて、1年生の後期半年間だけクラス委員長をしたことがある。毎日毎時間授業が始まるたびに「起立、気を付け、礼、着席」を言わなければいけない。たまに言葉が出てこなくて先生や同級生達に不思議そうな顔をされたこともあったが、最後までやり遂げることができた。これで吃音が軽減することはなかったけど、困難に自ら立ち向かったという経験が大きな自信となり今でも残っている。

 

カミングアウトはした?

僕が吃音という言葉を初めて知ったのは高校2年生のとき。ネットで「どもり」と検索したときに吃音のWikipediaを見つけた。自分と全く同じ症状が書かれているのを見て、「話せないのはこういう病気だったんだ」と知りすごく安心した。

しかし親にはすぐにそのことを話せたが、「障害者として差別されるのではないか」「話す姿を今まで以上に注目されるのではないか」「打ち明けたところで『気にするな』『悩んでいるのはお前だけじゃない』と言われて理解してもらえないのではないか」と考えるとそれ以外の人達には打ち明けることが出来なかった。また、それまでに同級生・学校の先生・空手の先輩など5人ほど軽度だが吃音のある人と出会ったことがある。みんな少しくらい吃っても悩んでいるような素振りを見せず過ごしていたのでこんなことで悩んでいる自分が情けないと思っていた。

 

吃音で悔しかったことは?

  • 先生から名前を聞かれて答えられなかったら「自分の名前もわからんのか?」と鼻で笑われた。
  • バドミントンの授業で得点係をしていたとき、プレーしていた同級生から得点を聞かれて答えられなかったら「ちゃんと数えとけや」とキレられた。
  • 授業中先生に当てられて答えがわかっていたけど、苦手なカ行の言葉だったのでわかりませんと答えた。※わかりませんだけは吃らずに言える。
  • 先生に名前を読み間違えられたが、訂正できずそのまま「...はい」と答えたらクラスメイトにクスクス笑われた。

 

印象に残っている出来事は?

19歳のとき、それまで所属していた空手の道場が子供ばかりで練習相手がいないので、もっと強い選手達と稽古ができる道場に移籍したいと思うようになった。しかし直接言葉で伝えられる自信が無かったのでメールで当時の先生にその旨を伝えたら、「そんな大事なことメールで伝えるってなに?」「人としてありえない」と言われた。その後、その先生には大会で会っても冷たくされたり、新しい道場の生徒達と出稽古に行ったとき「なんでいるの?お前はもうここでは稽古させないから」と言われ一人だけ帰らされた。すごく、悔しかった。

 

社会に出てからは?

高校を出たあとは、出来るだけ人と話す仕事をしたくてスーパーのレジ打ちを始めた。仕事は何とかなったけど、職場の人たちとは打ち解けることが出来ず、休憩中はひたすら表情を変えず俯いていた。

次はもっと辛い仕事を選んで自分を追い込んでみようと土木のアルバイトを始めた。現場なので大声で指示を出す必要があり、毎日盛大に吃りながら声を出していた。それでも些細な気遣いの言葉がどうしても言えなくて「思いやりがない」と散々言われた。ある日、とうとう耐えられなくなって退職願を事務所に投函して逃げるように辞めてしまった。

次は工場でライン作業をしていた。ここでも職場の人たちと全く打ち解けることができず、話しかけられても「そうですね」くらいしか返せなかった。「あいつとは会話が続かない」と陰で言われていたらしい。

 

この頃までは、頭の中は寝ても覚めても吃音のことばかりだった。「吃音さえなければ...」という思いがどうしても拭えなくて、現実を受け入れることができなかった。

 

しかしその後、言友会と出会うことで私の吃音観は大きく変わることになる。

 

つづく

6/2.3スクーリング記録

時間割

1日目 11:00~19:45

2日目   9:00~19:05

 

持ち物

  • 筆記用具
  • 教科書
  • 受講許可証
  • 学生証
  • クリアファイル
  • マグボトル
  • ナッツ(集中力UP)

シラバスは配布される

 

出席者

5名(男性1名、女性4名)

※年齢層は20代3名、40~50代2名

※職業は保育関係、メーカー勤務(設計)など

 

授業の進め方

  1. 自己紹介(名前、出身地、趣味)
  2. 教科書や資料を一人ずつ音読(かなりの頻度で回ってくる)
  3. 学生を2グループに分ける。学生同士のディスカッションを通して答えを導き出す
  4. 休憩は時間割通りではなく、キリのいいところまで進めてからまとめて取る
  5. 課題が終われば早めに帰ってもよい

 

学生から聞いた情報

  • レポート提出は月1~2本を目安
  • 参考文献は図書館で借りる(3~5冊)
  • ただし引用ばかりすると指摘される。自分なりの表現に変えるとよい
  • 参考文献は複数の科目で使い回せる場合がある
  • ネットの情報を使用してもよい
  • 科目終了試験は1時間でレポート書くのは無理だから事前に書いておく

 

出来事

  • 自己紹介のとき自身に吃音があることを伝えた。授業中はほとんど吃ることがなく予期不安も一切なかった。
  • 先生からディスカッションを促されたとき、自分から真っ先に他の学生達に話しかけることができた。
  • 休憩中、女性3名が輪になって話しているところに自ら進んで入ることができた(多少緊張したが、ここで話しかけないと後悔すると思った)。たまに会話の流れで気になった部分があれば質問する程度だが自然に居ることができた。その後、休憩から帰ってきたもう1人の女性にも自分から声をかけた。すごく話しやすくて気を遣ってくれる人だった。
  • 1日目終了後には20代3人組と先生、事務員の5名で近くの焼鳥屋へ。女性陣がとてもお酒に詳しかった。「大学に行ってないことにコンプレックスがあった」「家庭が複雑で...」 など、それぞれの事情を簡単にだが聞くことができた。先生は「通信課程の学生は普段働いて学費も自分で払っているから真面目な子が多い」と言っていた。また事務員の人によると「学生の中には既に福祉や保育などの現場に出て働いている人が多いから、授業を担当するのは緊張するし自分たちも勉強になる」と話す先生もいるそうだ。最初は客が少なく静かだったけど、次第に増えて騒がしくなってからは吃症状が重くなり自分から発言することが少なくなった。しかし居心地の悪さはそれほど感じず、周りの人たちも適度に話しかけてくれた。

 

感想

ディスカッション形式の授業は学生同士の交流を促したり集中力を保つのにとてもよかった。先生も自身がアメリカに留学していたときの話や専攻していた遺伝子の話をしてくれて面白かった。自分の学びたいという欲求を満たしてくれるだけでなく、学生時代こんな風に学生達と交流したかったという思いが時を超えて現実になったような気がした。とても楽しい二日間だった。入学以来出張が多かったりでイマイチ学生になりきれてない状態だったけど、今回のスクーリングをきっかけにしっかりと目標に向かって努力していきたい。

 

追記

最後の科目終了試験では1000~1200字程度のレポートを書く必要があるが、3時間かけて最低限埋めることができた。内容は全くダメだった。他の科目では1時間しか時間を与えられない可能性があるので、文章を早く書き上げる練習が必要である。

 

バカは最強の法則

f:id:ichigeki1011:20180523220631j:image

 

ホリエモン関連の書籍を何か読みたくて、本屋に行ったらこれがパッと見て惹かれたので読んでみました。印象に残った言葉を書いていきます。

 

「仲間だから」という理由だけで、無条件に人を助けた記憶はほとんどない。人のために尽くすことで能力が増幅することはあるだろうが、それが目的になった途端「自己犠牲」とか「共倒れ」が美しいものに変わる。人は常に、自分のやりたいことのために生きるべきた。仲間とシェアすべきは苦しみではない。喜びや感動、自己の成長を共有する。

※出来ない仲間を無条件に支援すると、その仲間はさらに転落し、支援者も共倒れするケースがある。

 

数年前までは、自分を犠牲にしてでも悩んでいる人の力になりたいと考えていました。しかしその優しい性格ゆえに、精神的に不安定な人ばかりを寄せつけてしまい、その人たちの負の感情を受け続けて僕のメンタルも相当弱ってしまいました。共倒れにならないためにも付き合う人は慎重に選びたいです。

 

バカは平気でリスクを取り、失敗を恐れない。いい意味で鈍感。何度でもチャレンジを仕掛けられ、結果的に成功する。バカは最強なのだ。

 

何か問題を出されたとき、たぶん答えはこうだろうと思い付いても、100%合ってる自信が無ければ答えられないことがあります。間違った答えを言って恥をかくくらいならと、ついわかりませんと答えてしまう。おバカタレントみたいに堂々と珍回答してみんなを笑わせられたらどれだけ楽だろうってよく考えます。

 

私の知る限り、好き嫌いをはっきりさせる人は、みんな信用されている。みんなに気に入られようとすると、結果的に誰からも好かれないし、信用もされない。 

 

嫌いなものを嫌いって言うのが苦手。特に誰かを批判したり傷付けてしまう内容だったりすると。もっと本音を言えるようにならないとね。

 

狭い世界にいると、人は「外へ逃げるのは負け」というプライドが働くようで、なかなか出ようとしない。いじめや搾取を受け続けても、ここで何とかがんばろう、がんばれば解決できると、勝手に思い込む。多くの業界は常に人手不足なので、特別な技能がなくても、当面はいくらでもしのげる。もし自暴自棄になるほど悩んでいるというのなら、自分の能力よりも、まずは自分の置かれた環境を疑うべきだ。人を精神的に追い込むような環境が、まともであるはずがない。いつでも飛び出せる勇気を持ってほしい。

 

「一度逃げたら一生逃げ続けることになるぞ」って言う人が絶対いるんだけど、それはその人の思い込みで無責任な発言です。「仕事を辞めたいと言う人」に対して連想ゲームのように思いついた言葉かけてるだけじゃないのかな。もちろん例外はあるし、その人の性格を見抜いて明らかに些細な失敗で逃げる癖があると感じたならいいんですけど。

 

おしまい。

強いってなんだろう?

YouTubeを見ていたらたまたまメンタリストのDaiGoさんがいじめについて語っている動画を見つけました。

 

DaiGoさんは小1から中2までの8年間いじめを受けていたと告白していました。トイレの個室にいたら水をかけられたり、上靴に画びょうをいれられたり...。その間ずっと”待っていた”と話していました。

 

「クラスが変わったら友達ができるかも...」

「先生が変わったら助けてくれるかも...」

そうやっていつかいじめが無くなる日を待ち続けていたけど、何も変わらなかった。  次第にいじめられることに慣れてしまい、自分はダメな人間だ、無力な人間だと受け入れてしまっていた。

 

中2になったある日、大好きだった母をバカにされたことがきっかけで初めていじめっ子にやり返した。

自分が動いたとき周りはこんなにも変わると初めて気付いた。「自己主張したら見えている世界は変わるんだ、じゃあやらないと」そこから自分を変えていった。

 

いじめられている子に言いたいのは、いじめられているのはチャンスだということ。なぜなら普通の人は普通に生きて普通に死んでいく。変わる必要がないから。変わる理由がない人は絶対変われない。

でもいじめられている人は、自分を変えなければいけない状況にいる。成功するための切符が目の前にある。だから戦って勝ち取ってほしい。

 

この話を聞いていた脳科学者の茂木健一郎さんが「DaiGoはたまたま強かったからいいけど、俺はその場から逃げることをオススメしたい。不登校になってもいいし、転向してもいい。」とコメントしていました。

 

また、女優や声優などをしている春名風花(@harukazechan)さんが過去にTwitterでいじめについて言及していたので下記に載せておきます。

 

いじめを乗り越えて成功した人が『生きてたら必ず良いことあるよ』みたいに語るけど、生きて良いことあったのはたまたまその人が運が良かっただけで、頑張って生きてもずっとつらいままの人もいると思うからその理論あまり好きじゃない。それでもぼくは生きて欲しい。奪われた尊厳を取り戻して欲しい。

 

このツイへの感想で『自分は運が良かったんじゃない必死に努力したんだ!』という意見を目にするのですが、もちろんその通りです。でも、いま正に死のうとしている人に対して、有名な人が『私は虐めにあったけどこんなに成功した!』『生きてたら良いことある!』って言っても、たぶん届かないと思うの

 

いじめから這い上がった人は凄いし、死ぬほど努力したと思う。素晴らしいと思う。でも『私はいじめを乗り越えてこんなに成功したよ経験談』は、いま乗り越えられずに苦しんでいる人を責めてしまう事もある。人間関係、自信、人格の全てを頭から破壊されている人には、成功した人からの言葉は刃になる。

 

この3人の言ってることはすごくよく分かる。ただ一つ気になったのは、「強いってなんだろう?」ということ。DaiGoさんのことをたまたま強かったと言ってたけど、じゃあどうして8年間もずっといじめを我慢し続けなければいけなかったのと疑問になりました。DaiGoさんが話したのは、強くなるためのきっかけや考え方なんじゃないかな。

 

成功談を聞いて「自分には無理」と思うか「自分も頑張ろう」と思うかはその人の価値観や精神状態によると思うし、そうだとしたら僕はどちらも変えられると思っています。

 

そういえば僕、19歳のときに人生で1度だけ「死のう」と“決意”したことがあるんです。「じゃあ何で今生きてるの?」と疑問に思われるかもしれないけど、説明していきます。

 

 

「死にたい」は辛いの最上級くらいの意味で使ってるイメージだけど、本気で「死のう」と考えるときって生きることに希望を見出すことが出来ない状況なんですよね。どんなに考えても努力しても自分には乗り越えられないと完全に絶望している状態。

 

「今日の夜にはこの世にいないんだ」と考えながら普通にバイトしてジムに行ったことを覚えている。「今日で体鍛えるのも最後、この人たちと会うのも最後」って。会う人には出来るだけ普通に振る舞っていた。

そして夜。場所は自分の部屋。首吊り縄も用意して、いざ死のうとした。でも、30分か1時間だったか何も出来ない時間が続き、結局行動に移すことが出来なかった。

 

このとき初めて「自分は死ねないんだ」ということに気付きました。「死んだら楽になれる」という選択肢を、自分は取ることができない。運命を受け入れて生きていくしかない。じゃあ、どうせ生きるなら辛い人生を生きるより楽しい人生を生きたいと考えるようになりました。

 

強くなれるきっかけは人それぞれだし、まずは辛い状況から離れてひたすら休むことが必要な人もいる。いつか自分の意思で前に進もうと思える日が来たときに、後押ししてくれる人だったり言葉があればいいのかなと考えています。

 

 

向かい風も追い風

f:id:ichigeki1011:20180515225423j:image

 

アベマTVでキングコング西野亮廣さんと乙武洋匡さんが対談する番組を見ました。この二人のことは今まで特に注目したことがなくてニュースで話題になったときに目にするくらいです。

 

対談での西野さんの考え方や乙武さんのトークがすごく面白くて最後まで楽しく番組を見ることができました。そこで急にこの二人のことが知りたくなり、まずは西野亮廣さんの著書『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』を早速購入してきました。

 

全体的に面白い本だったのですが、特に印象的だった部分を抜き出して書いていきます。

 

“ヨットは風を利用して前に進んでいる。追い風のときはもちろん、向かい風であろうと、帆の傾け方次第で前に進むことができる。やっかいなのは無風状態のときで、この時ばかりはニッチもサッチもいかず、手漕ぎでエッサホイサしなくちゃいけない。

人生に置き換えると、追い風は「背が高い」「頭が良い」「お金持ち」といった才能であり、向かい風とは「背が低い」「頭が悪い」「貧乏」とか…ザックリ言ってしまえば「嫌なこと」。

多くの人は、この「嫌なこと」を消そうとする。気持ちは分かるけど、ヨットの理屈で考えると、その「嫌なこと」は向かい風で、やはりこれも前に進む力になる。”

 

僕にとって向かい風は「吃音」「友達がいない」「貧乏な家庭に生まれた」など。友達がいないことで悩んでいたときは「一人でしか出来ないこと」に他の人より力を入れることができたし、貧乏な家庭に生まれたから現在当たり前のようにご飯を食べられたり好きなときに旅行に行けることがどれだけ幸せか知っている。吃音は一番の向かい風だけど、沢山のことを教えてくれたり気付かせてくれて、普通なら交わることのない様々な人達と繋げてくれた。向かい風が無ければどこにも進めず本当に薄っぺらい人間だったかもしれないな。どちらが幸せかはわならないけど。

 

“通知表でいえば「オール3」という状態が最もマズイ状況で、他の教科は「1」でいいのでその時間を使って自分の「4」を「5」にする作業をした方がいい。

学校と違って競争社会で引き抜かれるのは「5」のみであり、「1〜4」まではゼロだ。欲を言えば「5」が2〜3個あると、「グラフィックデザイン経理ができますよ」といった感じで、自分にしかできない仕事を提示できるから良い。”

 

昔から人より出来ないことが多くて「普通になりたい」とばかり思ってた。出来ないことは恥ずかしいし、もし人より出来ることがあっても「オール3」の人達に「あいつ〇〇は出来ても△△は出来ないよな」みたいに言われるのが嫌で、やはりまずは出来ないことを「3」にしようとしてた。努力の方向を思いきり間違えてたと後悔しています。

 

“ズブの素人がどうすればプロの絵本作家さんに勝てるか?真っ向勝負は避け、やはりここでも「ここなら勝っている」という部分を探すところから始める。”

 

プロに勝てるという発想がそもそもなかった。例えば精神的に悩んでいる人を助けたい場合、精神科医や心理士が関わっているなら自分が出る幕ではないと思ってた。でももしかしたら、同じように悩んだ過去を持ってる自分の方が悩んでいる人の気持ちを理解できたり共感できるかもしれない。時間に制限されず話を聞いてあげられるし、答えを一緒に探し続けることもできる。もちろん自分一人の力でその人を救うことは難しいかもしれないけど、間違いなく何か力になれることはあるはずだから。

 

SNSは拡散装置ではなく、個人と個人を繋げるツールであり、1万人に向けて網をかけるよりも、1対1を1万回した方が効率が良い”

 

SNSは個人と個人を繋げる」という言葉にピンときました。例えばTwitterで面白いこと呟いている人を見かけたとき。僕からはイイネをするだけで、もしいつか会う機会があったとき話してみたいと思うだけでした。でも結局、何年経っても会えてないんですよね。「この人の話がもっと聞いてみたい」と思ったのなら、遠慮せずメッセージ送ればいいんだ。迷惑かもなんて考えてたら、何も生まれないから。

 

以上。