Ryo's Diary

日常で感じた違和感や心が動いた体験を書き留めています。主なテーマは仕事、本、吃音など。

忘年会

昨夜は会社の忘年会でした。今回は私と後輩のAさんの二人で幹事を務め、資料作成から当日の受付やお金の管理などをしました。

 

セルフヘルプグループでは何度も忘年会や花見の幹事をしたことがあるので特に不安はなかったのですが、その油断が命取りとなり当日はグダグダになってしまいました…。

 

まずは受付。協力会社の人達には領収書を書かなければいけないと当日部長から教えられたのですが、いざ受付が始まり人がなだれ込むとこれを書くのにすごく手間がかかってしまった。

 あらかじめ会社名と金額以外の欄を書いて準備しておけばよかったのですが、そこまで気が回らず相手を待たせてもいけないのでお金だけ受け取り先に会場に入ってもらいました。

 

それだけならまだしも、領収書が無くなり途中で抜け出してコンビニまで買いに行き、更に最終的には二社に領収書を渡し忘れるという大失態をしてしまいました。

(領収書の受渡しはAさんに任せていて、家に帰り預かった領収書の控えを確認すると発覚しました。確認しなかった私にも責任がありますが…。)

 

さて受付が終わり忘年会が始まりました。最初にビール瓶が運ばれてきたので近くの人のグラスにビールを注ぎます。お返しに右隣の人が私のグラスにビールを注いでくれたのですが、ラベルをしっかり上に向けているのを見て「あっそうするのか!」と気付きました。以後、しっかりラベルを上に向けるよう意識しました。

 

他の人にもビールを注いでもらったあと「ありがとうございます!」とだけ言ってそのままグラス置いてしまったけど、よく考えれば一口でも飲んでから置いたほうがよかったかなと反省してます…。

 

そして忘年会が始まると、ほぼ最後まで同じ席に座っていました。本当はビール瓶片手に挨拶回りをするべきだろうけど、人と話すことが苦手で特に周りが騒がしい場所だと吃音の症状もよく出るのでなかなか積極的になれずにいました。

 

その代わり、右隣に座っていた初対面の協力会社の人が気さくに話しかけてくれたので多少は仲良くなれた気がします。音楽とモノづくりが好きでドラムや木琴を置く台を自作していると写真を見せてくれました。今後の目標はロケットストーブを作ることだ意気込んでいました。

 

また今までは受け身で自分から質問することは少なかったけど、色々話している中で気になったことは自分から聞けて少しはコミュニケーションスキルが上がってきているのかなと感じました。自分がどもっているところも平気で見せられるようになったし、忘年会での居心地の悪さというものは数年前に比べるとかなり無くなりました。

 

最後に数人で腕相撲大会をしたのですが、あまり結果が良くなかった…。8月後半からずっと週三回ジムで筋トレを続けているので自信はあったけど、なかなか筋力は簡単には付かないものなのか。悔しいから来年は絶対リベンジするけど。

 

そんなこんなで今年度の忘年会は終わりました。あと反省があるとすれば、幹事として始めと終わりの挨拶を勉強しておけばよかったことかな。結果的には他の人が話してくれたからよかったけど。まだまだ一人前の社会人には遠い道のりです…。

運命を変えたいなら…。

昨夜グッスリ眠れたおかげで今朝は7時前に目が覚めた。コンビニでパンとコーヒーを買い、公園のベンチでのんびりと食べる。休日の早朝は音楽を聴きながら家の周りを散歩することで不思議と高揚感が沸き起こってくるので、少し遠回りをして帰宅するのはいつも一時間近く経ってからだ。

 

今日は保育園や小学校、大きな池などを新たに見つけた。普段の生活では目的地に最短のルートで向かい、また同じルートを辿って帰ってくるだけなのでこんなに近くにあるものでさえ全然気付かなかった。あるいは目に見えているはずなのに、考え事をしていたりで意識にまでのぼらなかったのかもしれない。

 

本題に入るが、昨日自律神経専門家の方の話を聞くことができた。色々な話をされていたが、特に印象に残っているのは「成長曲線」と「リセット」という内容だ。

 

まずは「成長曲線」の話。多くの人は努力した時間と比例して成果が現れてくると思っている。しかし実際には、努力に比べて成長はとても緩やか(下図)。多くの人はそのギャップに耐えられなくて努力をやめてしまう。でも、緩やかに昇っていたものが努力を続けることでいつしか急に突き抜ける。


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自分なりに努力を続けているのに結果が出ないと「才能ないのかな…」と諦めてしまうことがよくあったけど、この話を聞いてまだまだ色んなことを諦めず続けてみようという気持ちにさせてもらえた。

 

次は「リセット」という話。人は過去の嫌な経験を思い出してストレスを感じたり、未来に起こりうる嫌な出来事を考えて不安になる。だから、そういう思考をリセットして現在目の前で起こっていることに集中しようという内容である。

 

方法は腹式呼吸をしながら五感を働かせて、目に見えているものや聞こえていることなどに意識を向けるというもの。実際に行ってみると、確かに目の前のことだけに集中することができた。

 

私の場合、仕事で単純作業をしているときや深夜まで眠れないときに腹が立つことを思い出し、風邪を引いたときや朝目覚めたばかりのときは前日の自分の行いやこれから起こることに対する不安に襲われることがある。そういう不安定なときに試してみたい。

 

最後に、マザー・テレサの名言を紹介していただいたのが心に響いた。

 

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

 

他人を傷付ける発言をする人が嫌いで、平気でそういう発言をしている人を軽蔑するような目で見ていた。でもよく考えれば、言葉には出さないものの私も頭の中では同じようなことを考えていたことに気付かせてもらえた。

 

自制心というブレーキが効かなくなったとき、今の思考を全てぶちまけたら取り返しのつかないことになってしまうから、そういう運命から逃れるためにも思考を変えることってとても大切だと教えてもらえた。

 

思考を変える方法については、個人的に勉強している認知行動療法が効果的だと思うのでまた時間があるときに書いていきたい。

懐かしい記事

以前書いていたブログを数年ぶりに見てみたら懐かしい記事を見つけました。この頃は毎日のように悩んでいて考え方も幼く不安定だったけど、それでも何とか前向きに生きようと藻掻いていました。

 

【2011年4月14日 mixiより】

これはついさっき実際にあった話です。


今日は空手の練習の日だったけど昼から友人と遊んでいました。


家に帰る頃にはもう練習が始まる時間…


自転車や徒歩で歩き回って疲れたので練習を休むと正直にメールを送りました。


すると返信が…


「お前はもう練習に来なくていい」


この返信を見たとき正直腹が立ちました。


こっちは毎日バイトと練習で遊ぶ暇がないから一日くらい休んでもいいだろと。


そして僕からメールを送信。


「わかりました。せっかく練習してきたのに大会に出れないのは残念ですけど、良い経験になりました。今までありがとうございました。」


このメールを送った時、僕はもうこれで空手をやめることになると思ってました。


その後先生から着信があったけど出ませんでした。


すると先生からメールが…


「お前は勘違いしてる。
俺がどんな思いで皆より早く体育館に行って場所を取ってると思ってるんだ。
ふざけたメール送りやがって…体調が悪いとかバイト入ったとか言えないのか?
とりあえず電話しろ!
前の道場みたいにメールだけでやめるつもりか!?
待ってるからな!!」


そして僕から電話をかけ10分ほど話しました。


「お前は俺が練習休んだことに対して怒ってるとでも思ってるのか?

皆仕事が大変でも練習来てるのに遊び疲れたなんて理由は俺たちを馬鹿にしてる!

理由なんて嘘でもいい、誰もつっこまないから。

ストレートすぎるんだよ、そういうのも勉強だぞ。

それに俺はお前を強くするって決めたんだ!

毎週お前を体育館まで送り迎えしてたのも、単に雨や雪が降ってるからじゃない。

お前が空手好きで頑張ってるのを知ってるから、少しでも応援したいんだ!!

お前だって自分で体育館行ってウェイトしてるのは空手が好きだからだろ?

お前から空手を取ったらただの貧乏なフリーターだぞ。

練習でキツイこと言うこともあるけど、それはお前に期待してるからだ。

俺以外にも皆がお前を応援してくれてる。


それなのに急にやめるなんて言ったらみんな悲しむだろ…


だからもう空手やめるなんて二度と言うんじゃねーぞ!!」


僕のためにここまで言ってくれるとは思わなかった…


いつも怒られてばかりだけど、それだけ期待してくれてたんだ…


それなのに簡単にやめるなんて僕が馬鹿だった。


今まで嫌なことがあったらすぐやめてきたけど、今回は違う。


あの先生でなければ空手なんて今頃とっくにやめてると思う。


今は空手もたいして成績出してないただのフリーターだけど、いつかあの人のような空手の先生になるのが僕の夢です。

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5年前だとまだ19歳ですね。仕事も勉強(このときは自宅浪人しながら大学進学を目指していた)も上手くいかず、唯一継続して頑張れていたのが空手でした。

 

自暴自棄になり何かを壊したかったのか、辛いことを訴えたかったのか…。色んなことを我慢してばかりで素直にSOSを伝えることができなかった。

 

当時の先生には稽古に行くたびに怒鳴られて顔を思い出すたびに腹を立ててたけど、今となってはそうやってお尻を叩いてくれる人がいたから頑張れてたんだなとよくわかります。

 

「師弟愛」と名付けられたこの記事。自分もこの人のように熱くて思いやりのある人間でいたいと思っています。

 

 

叱られて気付くこと

先日映画を見るためショッピングモールに行ったのですが、町内会写真サークルの作品が展示されているコーナーがあり見慣れた名前が目に入りました。今年の一月まで同じ職場に勤めていて私もよくお世話になっていた元親方の作品です。

 

京都の伏見稲荷を撮ったと思われる写真。難病を患い定期的に京都へ通院していると話していたのでそのときに撮影したのかもしれません。確か古希を迎える年齢ですが好奇心が旺盛で何事にも興味がある人でした。以前京都でサークルの合宿をしたという話をしたらわざわざ同じ施設を予約して宿泊してきたそうです。

 

私が入社した数ヶ月後からこの人の手元として一緒に仕事することが多くなりました。入社前から「職人気質で頑固者。すぐ怒るし一緒に仕事するのは大変」という噂を聞いていたのですが、確かに毎日のように怒鳴られていました。「効率が悪い」「どうしてこんなことも理解できないんだ」「仕事が覚えられないなら辞めればいい」などボロカスに言われる日々。

 

それでも反抗せず素直に叱責を受け止めながら地道に努力していたのが評価されてきて、「一回言って覚えられないなら何回でも言ってやる。他の人なら一回言ってダメなら見捨てるけど、俺はお前に情が入ってるからな」と言ってもらえました。

 
「〇〇君いいねって褒めるだけではダメなんだ。怒られないと覚えないんだよ」と話しているのを聞いて、中学生のときの授業の一幕を思い出しました。授業中、一部の生徒が私語をしていると先生が突然「バンっ」と黒板を叩き生徒を叱りつけました。そして一通り説教が終わると「俺だって本当は怒りたくないよ。皆と楽しく授業したいよ。でも、怒らないと分かってくれないから」と悲しげに話していたのが印象的でした。
 
失敗したときや間違った方向に進もうとしているとき、こうして叱ってくれる人がいるのはありがたいことだと思います。高校生のとき、風邪をひいて午後から出席をした際に「体調が悪かったけど少し休んだら良くなったので出てきました」と生徒指導の先生に説明したら「いかにも自分を正当化した言い訳だな。少し休んで良くなるようなら始めから出てこれるだろ」と怒られたのが心に響きました。それまで一度も他の先生には怒られたことがなかったので少しショックを受けましたが、自分の甘さに気付かせてもらえて感謝しています。
 
 10代の頃は怒られるたびに「もっと優しい言い方できないの?こっちだって一生懸命やってるのに...。もし自分が人に教える立場になったら決して怒ることはせず優しく教えるようにしよう」と考えていました。ですが社会に出て実際に厳しく言われたことで学べた経験があるからこそ、ときには厳しく接する必要もあると気付くことができたのでした。
 
 p.s.
元親方の話に戻りますが、口が悪くてすぐ怒るけど仕事のことを真面目に考えていて効率の良い方法を常に模索している人でした。プライベートの話も積極的に聞いてきてくれたりたまに食事に連れて行ってもらったりと私にとっては優しくて思いやりのある人でした。
 
悪いところばかり注目して陰口を言う人もいますが、そういう人たちの声を鵜呑みにせず自分がその人と一緒にいてどう感じるかという感性を大切にしていきたいです。

アドラーの教え

先日、参加している吃音当事者会の例会でアドラー心理学を学びました。事前知識として「嫌われる勇気」という本を読んだのですが、そこで語られるアドラーの言葉が自分のことを言われているようで心に突き刺さりました。とても深い内容なので印象的な文章だけ抜粋して私の感想と共に書いていきます。

 
アドラーは劣等感という概念を発見したとされていますが、「劣等感」と「劣等コンプレックス」は分けて考えなければならないと注意しています。劣等感それ自体は悪いものではなく努力や成長を促すきっかけになります。一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。この劣等コンプレックスの内容がいかにも自分のことを言い当てられているようで、胸がチクチク痛むのを堪えながら読み進めていきました。

 

劣等コンプレックスを抱えている人は「AだからBできない」と考えます。「学歴が低いから成功できない」というように。このことをアドラーは「見かけの因果律」という言葉を使い、本来は何の関係もないところにあたかも重大な因果関係があるかのように自らを説得し、納得させてしまうと説明しています。裏を返せば「Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ」と言外に暗示していることになります。

 

私も吃音や生まれ育った家庭環境で深く悩まされていたときは「吃音さえなければ...こんな家に生まれてなければ...」と毎日のように考えていました。友達がいない、恋人ができない、仕事を上手くこなせない...これら全て吃音や家庭環境のせいにしていました。今になって思い返すと、とても狭い視野で世界を見ていたと当時の価値観を振り返ることができます。

 

また不幸自慢も劣等感からくるものだとされています。自らに降りかかった不幸を、まるで自慢するかのように語る人。こういう人たちは、不幸であることにより「特別」であろうとし、不幸である一点において人の上に立とうとします。他者に慰めの言葉をかけられても「あなたにはわたしの気持ちはわからない」と拒絶することで、誰もなにも言えなくなり周囲の人は慎重に接するようになります。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとしているわけです。

 

私も「吃音の辛さは当事者にしかわからない!」と言って家族と言い争ったり、母子家庭で高校を卒業できなかったことから大卒の人たちを敵対視したりと、見事にアドラーの言葉が自分に当てはまりました。改めて劣等コンプレックスの塊なんだと気付かされました。下記に印象に残った文章を載せておきます。自分への戒めとしても心に刻んでおかなければなりません。

 

“もちろん、傷を負った人の語る「あなたにはわたしの気持ちがかわからない」という言葉には、一定の事実が含まれるでしょう。苦しんでいる当事者の気持ちを完全に理解することなど、誰にもできません。しかし、自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになります。”

 

長くなりましたが、「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」も勢いで読んだのですが、ここでも印象に残る言葉が出てきたのでもう少しだけお付き合いください。

 

私は現在吃音で悩むことは少なくなり、過去の家庭環境を思い出してストレスを感じることもなくなりました。それなら特に問題はないのではないかと思われますが、アドラーの言葉で思わぬ落とし穴を発見することになりました。

 

“自分の過去について「いろいろあったけど、これでよかったのだ」と総括するようになる。これは「いま」を肯定するために、不幸だった「過去」をも肯定しているのです。”

 

“われわれの世界には、ほんとうの意味での「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。”

 

“人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。”

 

上記の言葉から、私自身悩みを抱えた若者に対して「吃音は確かに辛いけど、それがあるおかげで強くなれるよ」「社会に出てみると複雑な家庭環境で育った人なんて珍しくないよ」などアドバイスしていることがあるけど、それは辛かった過去の感情から目を逸らした発言で、現在悩んでいる彼らにちゃんと向きあえていなかったのではないかと考えさせられました。

 

また前々回吃音当事者会の例会で「結婚したら家族を守るため簡単には仕事を辞められない」という意見に対して、私が「フリーターの親に育てられたけど最低限の生活はできたし、今では僕も自立した大人になれているから人生なんとかなりますよ」と発言しました。それに対して他の会員から「Ryoくんはそれで幸せだった?」と問われハッとさせられました。

 

「どうしてちゃんと働いてくれないんだろう」「自分が将来結婚して子どもを育てる立場になったら絶対自分のような思いはさせない」と子どものころ決意していたのに、このことを忘れての発言だったのです。

 

つらい過去を封印して楽しい思い出だけに囲まれる生き方も必要だと思いますが、現在悩んでいる人に対して軽はずみなアドバイスはしないよう心掛けていきたいです。

 

最後になりますが、「嫌われる勇気」は吃音のことにも触れられていて、吃音以外にも劣等コンプレックスを抱えている人にはオススメしたい一冊です。どこの本屋でも売れ筋ランキング上位に入っているので、気になった方は是非読んでみてください。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

大人になって気付いた親の気持ち

幼い頃から両親のことが嫌いだった。

 
定職に就かず、朝は好きなだけ寝て目が覚めればパチンコに行く父。母も父について行くことが多く、家事をほとんどせず堕落した生活をしていた。
 
小学生の頃、父と母がパチンコ屋にいる間は、何時間もお店の駐車場の中で待たされていた。真っ暗な密室に一人きりにされ、唯一の楽しみはパチンコ店独特の派手なイルミネーションを車中から眺めていることだけだった。
 
「もし将来、自分に子どもができたら絶対こんな場所に一人ぼっちにさせない」
 
小学4年生ながらに心にそう誓ったことを今でも強く覚えている。それでも純粋だった私は両親の言いつけを守り、駐車場に見回り(車内に子どもがいないか確認する)の人が来れば咄嗟に隠れ、このことを誰にも打ち明けなかった。親に迷惑をかけたり、周りに心配させないためだった。
 
小学6年生のある日、学校から帰ると父の姿が見当たらなかった。「出張に行った」と母から聞かされたが、それから数年間父が帰ってくることはなかった。
 
父が居なくなってから、母はますます堕落した生活を送るようになっていた。仕事も家事もせず毎日携帯を触りながら深夜4時頃まで起きていて、朝の通学時間になっても起きてこない日がよくあった。
 
私もそれに便乗して朝9時頃まで寝てそれから学校に行っていた。今では考えられない話だが、中学3年間で遅刻回数は200回を超えていた。
 
中学では毎日お弁当を持参する必要があるのだが、母はたまにしか起きてこないため昼食時間になっても私だけお弁当がないということがよくあった。一度学校で問題になり、担任の先生が母に「お弁当は毎日持たせてあげてください」と伝えてくれたことがある。それに対して母は「息子が栄養が偏るからいらないって言ってるんです」と答えたそうだ。母に問い質すと「面倒くさいから適当に答えた」と話していた。
 
お弁当を食べない日が続いたある日、隣の席のクラスメイトが「今日はお腹の調子が悪いからこれもらってくれない」とパンを分けてくれた。次の日も、その次の日も。席替えをして他のクラスメイトが隣に来たときも、昼食時間になるとおかずを分けてくれていた。それもメインディッシュであるはずの唐揚げをだ。
 
「別にいいよ」と断っても彼らは親切に食べ物を分け続けてくれた。お昼休み、一人になれる場所でこっそり泣いていた。
 
中学3年生になり高校受験を控えたある日のこと、突然父が帰ってきた。今までお小遣いをあげられなかったからと2万円を渡そうとしてきたが、「もらっても使い道がないからいいよ」と言って受け取らなかった。
 
父のことは憎んでいるはずなのに、ずっと貧しい生活をしてきた父にとってそのお金は大金のはずだから、例え今まで父親らしいことをしてやれなかった申し訳無さやわずかな親心があったとしても、良心が痛み受け取ることができなかった。俺に渡すくらいなら生活費に当ててほしいと思った。数週間後、父は再び家を出て行った。
 
その後高校に進学した私は、人一倍勉強を頑張るようになった。「真面目に生きたい」と願い、クラス委員長を務め成績もクラスでトップを維持していた。
 
しかし、高校2年生のある日、突然生徒指導室に呼び出された。内容は授業料のことで、「もしこのまま未払が続くようなら出校停止を命じざるを得ない」と忠告された。
 
家に帰り、母に「俺、バイトでもしようか」と相談したところ「授業料はなんとかするからあんたは勉強頑張りなさい」と私の申し出は断られた。
 
その言葉を信じて在学中はずっと勉強を頑張り続けた。大学進学も視野に入れていた。奨学金を借りれば進学はきっと不可能ではない、そう信じていた。
 
しかし、現実は甘くなかった、母は相変わらず働く素振りを見せないまま月日は流れ、卒業式前日になって「授業料を納めていないので卒業式には出席させられない。高校卒業資格も与えられない」と担任から告げられた。
 
「卒業させてあげられなくてごめん」
初めて母から謝罪の言葉を受けた。
 
「別にいいよ、卒業式に出たところでどうにかなるわけでもないし」
強がりだった。でもここで悲しそうな表情を見せたら、母を傷付けてしまいそうで怖かった。
 
 
その後はフリーターとして生計を立て、20歳のときに地元石川県を離れ現在住んでいる愛知県で住み込みの仕事を始めた。
 
一年間は某大手自動車メーカーで派遣社員として働いていたが、単純な肉体労働が延々と繰り返される毎日で、いつしか精神的に疲れきっていた。
 
「どうして俺はこんなことしてるんだろう」「吃音がなければ...複雑な家庭に生まれていなければ...」
 
考えても仕方のないことばかりが頭の中で渦を巻くように広がり、思考の大半をドス黒い感情が埋め尽くしていた。
 
それでも、愛知に来てからの生活は辛いことばかりではなかった。初めての土地での一人暮らし、何より色んな人に出会うことができた。同じように家庭環境に問題がある人、吃音や発達障害があり困難を抱えながら生活をしている人など。
 
そういう人達の話を聞いていると、両親に対する見方にも変化が表れ始めた。仕事をしない不真面目な大人だと思っていたが、本当は真面目に働いてちゃんとした生活をしたかったんじゃないか。それでも何か事情があり仕事を継続することができなかったり、毎日の規則正しい生活のリズムを築くことができなかったのではないか。
 
そう言えば母が一度、「仕事しても人間関係が上手くいくかどうかがな...」と漏らしていたことがある。正社員で働いた経験がないと言っていたが、例えば対人関係に問題を抱えていて仕事を続けられない状況に追い込まれてしまったのかもしれない。
 
ダメな人間になろうと思ってなる人間はいない。だが、ふとしたことがきっかけで人生の歯車を壊されてしまうのはよくある話である。今では両親のことを可哀想な人間だと思える余裕も出てきた。
 
20歳で家を出るまで、例え最低限の生活でも支えてくれた母に感謝して、私はこういう大人にならないように強い気持ちを持ってこれからの人生を歩んでいきたい。
 
 
p.s.
たまたま数日前に、湊かなえの「夜行観覧車」という小説を読みました。これも複雑な家庭事情を描いた小説なのですが、その中で印象に残った言葉があります。
 
「どんなに強い殺意を抱いても、殺すと殺さないのあいだには大きな境界線がある。それを踏み越えるのと思いとどまるのとには、意志が大きく左右するものだと思っていた。(中略)止めてくれる人がいるかいないか、それに左右される場合の方が多いのではないだろうか。犯罪を起こさない人間が決してえらいわけではない」
 
とても共感できました。人殺しではないけど、学生の頃何度も自分の境遇に嫌気がさしてグレてやろうかとも考えたことがあります。でもそれを踏みとどまれたのは、自分を応援してくれている人達がいたから。例え直接応援してくれてなくても、きっとそういう人達がいるって信じることができたからだと思います。
 
もうひとつ小説の中で印象に残っているのは、癇癪持ちで何でも他人のせいにする娘とその母の会話で、
 
母 「部活でおもしろくないこともあるかもしれないし、お友達とケンカしたり、失恋することもあるかもしれない。そういうの彩花にとっては全部、わたしのせいなんでしょ?」
 
娘 「そういうのを引き受けるのが、親ってもんでしょ」
 
母 「じゃあ、わたしにはもう、親は無理だわ」
 
私も20歳頃まで、親が子どもに愛情を注ぐのは当たり前だと考えていました。朝起きて弁当を作るのは当たり前、思春期で不安定な子どもの暴言を受け入れるのは親として当然の役目というように。
 
でもそれは子ども目線で自分に都合のいいように考えていただけで、親の立場から考える視野がありませんでした。たいていの人は、大人になってからそのことに気付くのかもしれないけど。
 

 

 

 

夜行観覧車 (双葉文庫)

夜行観覧車 (双葉文庫)

 

 

 

 

職場の教養

今の職場で働き始めてから約二年半の月日が流れました。仕事の種類が豊富で覚えることが多いのでまだまだ一人前にはほど遠いですが、少しずつ要領を掴んできている実感はあります。

入社して間もない頃に職場の上司に言われたことは「学校はお金を払って勉強を教えてもらうところだけど、ここでは自分たちがお金をもらってるから自分で勉強しなければいけない」ということでした。

昔気質の人間が多い職場なので「仕事は盗むもの(説明してもらうのではなく見て覚えろ)」という考えで順序立てた説明無しにいきなり仕事を任されることもよくありました。もちろん右も左もわからない新米なのでいきなり上手くこなせるはずもなく失敗して怒鳴られる毎日です。

ですが、昔気質の人は人情深い人が多いので毎日怒られながらも逃げ出さず真面目に仕事をしているとしっかり評価してもらえます。怒りながらも「俺が今これだけできるようになったのは、過去にそれだけ失敗を積み重ねてきたからだ」とフォローする言葉もかけてくれました。
(余談ですが、別の職場に勤めていたとき当時の先輩に「最初は仕事できないのは当たり前だ。でも本当に当たり前だと思うなよ」と言われました。失敗してもしっかり反省は怠るなよという意味だと捉えています)

仕事は見て覚えるものだとしても、やはり説明がなければ理解できないときもあります。そんなときはこちらから質問をするのですが、よく質問をする先輩によって返ってくる答えが異なるときがあります。
A先輩から言われた通りにしたらB先輩に「そのやり方は間違ってる」と言われた経験が社会人なら誰しもあると思います。単なるどちらかの知識不足ならそれでいいのですが、プロの職人同士でも同じようなことが起こります。

「どっちの言ってることが正しいんだ」と最初は戸惑うことがあるかもしれませんが、私はどちらも間違ってないと考えています。その人が今までに得た知識や経験の中から最善の答えを選んで言っていることなので、その知識や経験の違いから見えている問題も違い対処法が異なっているのだと思います。

「物事は立体的に見なければならない。一方向からの情報だけでは、真の姿はわからない。」と少し前に読んだ小説に出てきた一文ですが、前述のケースもこれに当てはまることです。だから私自身相手と意見が別れたときには、どちらが正しいのかを考えるのではなく相手の意見を素直に受け止めて自分の考えに反映させるようにしています。

このように今の職場では仕事の技術を学んだりお金を稼ぐためだけの場所ではなく、物事に対する考え方や他人を思いやる気持ちなど色々なことを勉強させてもらっています。
仕事に限らず、どんなことをしてもそこから学び取れることは思っている以上にたくさんあるはずなので、そういう姿勢を忘れずこれからも精進していきます。


p.s.
前述の少し前に読んだ小説とは東野圭吾の「夜明けの街で」という作品です。不倫をテーマにした物語ですが、東野圭吾お馴染みのミステリー仕立てになっていて面白い作品なので気になった方は是非読んでみてください。