Ryo's Diary

日々の中でふと気になったことや感じたことを忘れないうちに書いていきます。主なテーマは仕事、読書、映画、吃音など。

等身大の自分

ゲオで漫画を大人借りして部屋でゴロゴロしながら読み耽るのがマイブームです。いま読んでるのは「キングダム」「リアル」「健康で文化的な最低限度の生活」など。

 

この中で、障害者スポーツをテーマにした「リアル」という漫画の中に良い言葉が出てきたので書き留めておきます。

 

“自分を受け入れられないなら、他人の価値も見えやせん。現在の自分ー等身大の自分を受け入れた人間だけが、他人を受け入れることができる。他人を認め受け入れることができたなら、今の自分を受け入れられる日も近い。”

 

昔から自分の才能や努力を過大評価して「本当の自分はこんなはずではない」とばかり考えてしまう癖があります。実際にはたいした努力をせず結果も残せていないのに、やればできるはずという妄想に依存して、結局何も出来ないまま月日だけが流れていく。

 

他人への嫉妬心も強い。始めはその努力を尊敬していた人に対しても「環境がよかっただけ」「人間性に問題がある」などと理由をつけて見下してしまい、これなら自分の方が立派だと思い込もうとしている。みんなの前では強がっているけど本当はとても弱い人間です。

 

だからこそ、弱い自分を受け入れて他人を認める努力をしなければいけない。例えば大卒の人に嫉妬して「こんな社会に出ず遊んでた奴に負けたくない」と敵対するのではなく、自分が出来なかった経験をしている人と素直に認めてその人から情報や考えを得られれば、自分の人生はきっとより豊かなものになると思います。

 

他人を認めることってとても勇気が要ることです。それは自分の弱さも認めることになるから。でもそうすることでしか見えてこないこともあるし、前に進めない。見栄張って強がりなんか言わずに心から自分を好きになれるように、そういう自分を目指して地道に何事も努力を続けていきます。

ちゃんと伝えよう

出張で宿泊していたホテルの近くに映画館なんてあるものだから、早く仕事から帰れた日はレイトショーを観に行ってました。最近観たのは『心が叫びたがってるんだ』と『君の膵臓をたべたい』です。

 

"ここさけ"はアニメの方でも感動して、言葉が人に与える影響の大きさや素晴らしさを改めて感じました。"きみすい"は予告が面白そうだったので観てみたのですが、この映画にも言葉の大切さを教えてくれるシーンが出てきたので紹介します。

 

無口で他人と関わろうとしない主人公が、人気のあるクラスメイトの女の子と話しているところを皆に見られて誤解されたと落ち込んでいたとき。「誤解されるのは君がみんなと話さないからだよ。みんな君のこと知らないから」という女の子の言葉が心に響きました。

 

私も自分の考えや気持ちを他人に話すことが苦手です。特に自分がどういう人間かをいちいち説明することをしてきませんでした。

 

それは、自分が信念に基づいて行動していたり日頃の言動を見ている人なら何も言わなくても「りょうくんはこういう人なんだ」ってきっとわかってくれるだろうと考えていたからです。

 

しかし、人間はそこまで他人に興味があるわけではありません。話さないことで「何を考えているのかわからない 」という印象を与えてしまう可能性もあるから、ちゃんと自分の考えてること必要なときは伝えなければいけないと思いました。

夢と現実

子供の頃、将来の夢は何?と聞かれたら迷わず「プロ野球選手!」と答えていた。

 

とはいえ小学校6年生のときに半年ほどソフトボールチームに所属しただけで、中学生になり入部した野球部は数ヶ月で辞めてしまった。

当時は毎朝9時頃に登校したり傷害事件を頻繁に起こしたりと素行の悪い少年だった。でも部活を辞めた一番の原因は、毎日欠かさず練習に参加しなければいけないというプレッシャーに耐えられなかったからだ。

 

夏休み、昼夜逆転で不規則な生活を送っていた私にとって毎朝決まった時間に起きて練習に参加することがとても苦痛だった。また野球部内では同級生と対立したり先輩から評判が悪かったりと人間関係にも問題を抱えていた。居心地の悪さもあり辞めてしまった。

 

それでも公立高校の入試面接で「この学校に入ったら何がしたいですか?」と聞かれたとき、「野球部に入って甲子園に行きたいです!」と自信満々に答えた。野球部辞めて将棋部に入った人間が何を言ってるんだろうって今では笑い話だけど、当時は本気でそう思っていた。弱小校でも自分がエースで四番になってチームを引っ張っていこうと。

 

きっと漫画やゲームの影響を受けすぎていたんだと思う。どんな困難も努力すれば乗り越えられるって信じてた。結果的に高校生になり再び入った野球部は2日目で「やっぱり毎日練習するほど野球好きじゃないわ」と気付いて退部した。

 

その後、高校初めての定期テストでクラス一番を取れたことから勉強に熱が入り、地元の国立大学進学を目指して勉強を頑張っていた。しかし定期テストでは相変わらずトップの成績を維持していても、全国模試の偏差値は平均すら程遠かった。中学時代全く勉強しなかったことを考えて、スタートが出遅れた分2年くらい浪人してもいいかなと考えていた。

 

そんなとき校長面談があり、2浪してでも地元の国立大を目指したいと話したら「成績は時間をかければ伸びるものではない」と忠告された。「俺は他の奴とは違う、努力を続ければ絶対にできる」と心の中で反発したけど、その言葉が棘のように心に刺さって抜けなかった。

 

そして在学中は受験せず、二年間スーパーや土木のバイトをしながら自宅浪人という形で勉強を続けていた。しかし思うように勉強に身が入らず貯金もできず、自分が目指していた目標は遥か遠い夢なのではないかと少しずつわかってきた。

 

「20代のうちは働いて学費を貯めよう。そして自分に見合った大学に行こう」と一旦就職することにした。その後、セルフヘルプグループの活動を続ける中で言語聴覚士臨床心理士という職業を知り、自分と同じ吃音障害を抱えている人の力になれる仕事に就きたいと考えるようになった。

 

そして25歳になった今。大学あるいは専門学校に通って資格を取りたいと漠然と考えてはいたけど、まだまだ学費を貯める時期だからと特に動いてはなかった。仕事を頑張って覚えたり休日は趣味や遊びに時間を費やすことが今の自分には必要だと考えていたから。

 

そんなとき、セルフヘルプグループに参加しているある先輩が転職したという話を聞いた。就労支援をしている会社らしいが、実はその一年ほど前から精神保健福祉士の資格を取るため学校に通っていると言うのだ。

 

「僕は現実的に考えて、自分が働きながら通える学校や取得できる資格を選んだ」と話しているのを聞いて、今までの自分の考え方を見つめ直すことができた。ようやく私も実現できる範囲で自分のやりたいことが見えてきた。

 

働きながらでも通える学校は何処か。こういう人間になりたいという憧れではなく、自分の性格や能力を冷静に分析してこれなら出来ると思える職業は何か。

 

先延ばしにするのもよくない。今まで生きてきて、人生とは思い通りに行かず予想外のことが起きるということを学んだ。自分がやりたいことはそれが出来る環境と意欲のあるうちに行動に移すことが大事。

 

ほぼほぼ選択肢は絞り込めたけど、もう少し情報を集めて出来るだけ自分に合った道を進むようにします。

small step

出張で宿泊しているホテル近くに空手道場があったので見学に行きました。私が所属している流派とは違うのですが、少し縁があり先週その流派の県大会を観戦したばかりだったので興味もありました。

 

少しドキドキしながら道場に向かう。ホテルから5分ほど歩いたところで常設の道場が見つかりました。事情を説明すると「是非稽古してってください」と言われたのでそのまま稽古に参加させて頂きました。

 

 他流派で10年近く稽古していると話したら「今日は道場破りが来たぞ!」と皆んなに言って温かく迎え入れてくれました。

 

この日は県大会が終わって初めての稽古日だったらしく改めて道場で入賞した選手の表彰式を行なっていました。(しっかりBGMを付けて)

 

そこで先生が「大会で負けた子の中には結果報告に来ない子がいる。または、来ても落ち込んだ顔で負けましたとだけ報告する子。大会に出てその舞台で戦っただけでもすごく成長できることなのに、負けたことばかり気にして落ち込まなくてもいい。自信を持って報告に来ればいいから」と生徒たちに話していました。

 

稽古始めはまず正座をして黙想。道場訓はもちろん、支部独自のスローガンや万葉集論語の斉唱を10分ほどかけて行なっていました。

 

そしてその後はいきなりサポーターをつけて組手。この流派は組手中心で正拳突きなどの基本稽古や型稽古はしていないみたいです。10人ほど参加者がいましたがほぼ全員黒帯。経験者ということで遠慮なくボコボコにされました…笑

 

ここ数年は仕事やプライベートに時間を取られて稽古にあまり参加できていなかったので、激しい組手をしたのは久しぶりでした。それでも日頃からジムに通ったりシャドーを続けてる成果か思ったより動けていて、稽古終わり先生から「りょう、今日は頑張ったね」と声をかけてもらいました。(自己紹介したときから下の名前で呼んでくれています)

 

稽古後、大会の打ち上げでラーメンを食べに行くことになり「りょう、来来亭な」と言われたので「今からですか?大丈夫です」と答えたら「お願いしますだろ」と言葉遣いを指摘して頂きました。

 

そしてラーメン屋に移動。同じテーブルに座っていた人たちが色々と話しかけてくれてそれに答えていたけど、ほとんど話を聞いているばかり。先生が離れたカウンター席からその様子を見ていて「りょう、もっと喋れよ。皆んなも質問責めにしてあげて」と声をかけにきてくれました。そして他の生徒たちと同じくラーメン代も出していただきました。店を出るときには「食器を綺麗に並べといて」と生徒たちに指示を出してマナーや礼儀をしっかりするよう指導していました。

 

帰り際、サポーターを返しそびれていたのでさっさと車に乗り込んだ先生に慌てて「すいません、これ…」と声をかけたら

 

先生「何か言うことあるだろ」

私「あ…今日はありがとうございました」

先生「ごちそうさまですだろ。月謝を払っていない僕にもご馳走していただきありがとうございますと言いなさい」

 

と、初めて会った私に対して厳しく人間教育をしていただきました。最後に「いい動きだったよ」とお褒めの言葉をいただき、すごく人徳の備わっている先生だと思いました。

 

このように先生がしっかりしていてユーモアもあり、道場生は礼儀正しく空手も強く、たまたまだけどとても良い道場で稽古させてもらえたことに感謝しています。

 

それでも帰り道は反省会。まずはラーメン屋でほとんど話しかけられなかったこと。吃音の調子は良くあまりどもらなかったけど、まだ自分から話しかけるのは怖さがある。聞きたいことはたくさんあったのに聞けなくて後悔が残っています。

 

「人と話せるようになったのはつい最近でまだコミュニケーションが上手く取れないから仕方ない」など自分を守るための言い訳ばかり頭に浮かびました。以前に比べたら打ち上げに参加する、他の人が話していたら姿勢をそちらに向けて相槌を打つなど非言語的なコミュニケーションはできるようになったので確実に成長はしていると思います。でもそろそろ次のステップに移らないといけない。

 

余談ですが、以前空手の先生に稽古後食事に誘われて断ったことがありました。話すことが苦手という理由と、私なんかのために食事代を出してもらうのは申し訳ないと思ったから。でも家に着いた頃、別の先輩からメールがきて「先輩からの誘いは断ったらダメだよ」と注意されました。相手に気を遣っているつもりが失礼なことにあたるのだとこのとき知りました。

 

これからの課題は、相手に質問されたら答えて終わりではなくこちらからも相手に投げかけをするようにする。自分が入れそうな話題のときは勇気を出して発言してみる。こうやって少しずつステップアップしていきたいです。

 

本来ならあまり話せなくても居心地は悪くなかったから別にいいやと感じるはずだけど、この人たちとはもっと良い関係を築きたいと思えたから。この気持ちを忘れずに頑張りたいです。

 

また一つ、素敵な出会いに恵まれてよかった。

かけてほしい言葉

先日、悪口を言ってしまう人の気持ちについて記事を書きました。実は私も2年ほど前に友人からSNSで実名を晒され罵詈雑言を浴びせられた経験があります。

 

その友人とは自助団体を通じて知り合いました。怖そうに見える容姿とは裏腹にすごく真面目な性格で、自分のことより相手のことを優先して考える優しい心の持ち主でした。

 

ところがあるとき、彼は仕事を解雇されたり好意を寄せていた女性から拒絶されたりと不幸が重なり、元々抱えていた障害の悩みもあって精神的にかなり追い詰められている様子でした。

 

私は友人として相談に乗ったり悩みを聞いていたのですが、彼の言動は次第に否定的なものばかりに。どれだけ慰めたりアドバイスをしても受け入れず、自虐的な発言や不満ばかりが溢れ出ていました。

 

今思えば、その時点で彼と距離を取るべきだったと反省しています。精神病を抱えている人の相手をするには強い気持ちが必要で責任を伴うから。

あのときは少しでも彼の助けになりたくて、毎日電話で話したり何か良い方法はないかと自分なりに調べて彼と向き合っていました。しかしどれだけ励ましても「俺には無理だ」と受け入れず、延々と愚痴を私にこぼし続けました。

 

毎日朝から晩まで何十通も愚痴のメールを送り続けられる日々に私のストレスも大きくなり、とうとう我慢の限界が来てしまいました。

「いい加減にしろ!お前の愚痴を聞かされるたびに俺まで嫌な気待ちになるんだよ!俺はお前の愚痴を聞くために生きてるんじゃない!」

 

そのあと私から彼の連絡先をブロックして数ヶ月ほど連絡は途絶えました。その後、久しぶりに再会したときには彼の方から謝罪してくれて、また二人で一緒に遊ぶ仲になりました。しかし彼が抱えている心の病は日を追うごとに大きくなり、いつの間にか彼の人格を破壊していました。

 

SNSで支離滅裂な言動をするようになり、そしてついに感情が爆発してその矛先が私に向けられました。

 

「死ね」「俺がおかしくなったのはあのときのお前の発言のせいだ」 「俺は精神的な病を抱えていたんだからもっとそのことを理解しろ」などとSNSで書かれ、また私が彼を殺そうとしたとか女性関係に問題があるなど事実と異なる情報を流して私の社会的評価を下げようとしていました。

 

しかし彼の発言を見たとき、全く怒りの感情は湧いてきませんでした。むしろ彼のことを心配している自分がいた。彼は自分の中に抑え込んでいた抱えきれないほどの感情を誰かにぶつけたくて、その相手に私は選ばれたんだなって。

 

前述しましたが、彼は元々とても優しくて真面目な人柄です。誰かを傷付けるためにあのような発言をする人間ではないって知ってる。私を傷付けたいというのが本意ではなく、誰かを傷付けることで楽になりたかったんだとすぐにわかりました。

 

彼の発言には一切反応しないまま、彼と距離を取ることにしました。発言の内容については怒ってないけど、彼の気持ちや精神状態が落ち着くまでは関わらない方がいいと判断したから。

 

 

そしてようやくタイトルの本題に入ります。前置きが長すぎました…笑

 

彼がSNSで上記の発言をしたとき、私と彼を知る関係者のほとんどが「〇〇がヤバイ」「〇〇が壊れたw」など彼の発言にばかり注目していました。ですが二人だけ、私のことを心配してメールをくれた人達がいました。

 

「どれだけ悪口を言われても自分が間違っていないと信じていれば気にすることはない。社会的評価を下げる内容が書かれていても、私のことをちゃんと知ってくれている人なら真に受けず信用しくれるはず。」

 

そうは思っていても、正直心のどこかでは不安だった。彼の発言を見た他の人はどう思うんだろうって。

 

そんなとき私を心配してくれるメールをもらえたことがすごく嬉しかった。それからしばらく経ったときにも「りょうさん〇〇に酷いこと言われてましたよね。私はりょうさんは悪くないんだろうなって思ってた」って言ってくれた人がいてすごく安心した。

 

人に悪口を言われたとき、「気にすることないよ」「私はあなたの味方だよ」「あなたのこと信じてるよ」という言葉をかけてもらえるのが一番嬉しくて安心するのかなと思います。

 

そういう人間関係を築くには、愚痴を聞いてくれる友達を作ること。自分を信頼してくれる仲間を増やすことが大切だと思いました。

 

昔から他人に心を開くことが苦手。自分の情報を教えず一人で抱え込むことが多いから、もっと自己開示して深い人付き合いができるようにしていきたいです。

 

 

追記

私があれだけ言われても彼のことを嫌にならなかったのは、数少ない(というかほぼいない)友達である彼を失いたくなかったからかもしれません。私が何か新しいことに興味を持ったときには「面白そうだね」って必ず肯定してくれた。一緒にどこかへ遊びに行くときは自分から車を出してくれたり、私の意見に合わせてくれた。一番素の自分を出せる貴重な存在でした。数人でもいいから彼のような友達がまたできればいいなと思う。

誰かを傷付けたくなる気持ち

数年前、吃音がある子どもを育てている母親で、吃音があり子どもを産んだ人のことを批判している人がいました。「〇〇さんって自分が吃音あるのに子どもを産んだってことよね?それってどうなの(自分の子どもにも同じ思いをさせるつもり?)」というふうに。(母親同士の話し合いに参加していた人から後で聞いた話です)

 

その話を聞いたとき、なんて最低な母親だと強く憤りを感じたことを今でも覚えています。「吃音がある人は子どもを作ってはいけないの?」もし自分がその場にいて話を聞いてたらブチ切れてただろうなって。

 

でも少し落ち着いてから、その人はどうしてそんな理不尽で酷いこと言ったのかなと考えてみました。自分の子どもが吃音でからかわれたり苦しんでいる姿を一番身近な存在として見てきている。母親自身も子どもに辛い思いをさせていることが辛くて、自分を責めて苦しんでいたのかもしれません。

 

本当は自分でも理不尽なこと言ってるってわかってるはず。でもそうやって誰かを傷付けることでしか、自分を守ることができなかったのかなって今では思います。

 

このように人の悪口を言ってしまう人は、たいていその内容と同じことで誰かに嫉妬したり劣等感を抱いていることが多いです。

 

「大卒なのにそんなこともわからないの?」

→学歴にコンプレックスがある

「あいつは女たらしだ」

→恋愛経験が少ない

「俺は誰にも頼らず一人で頑張ってきた」

→本当は助けて欲しかった、甘えたかった

 

ところで私は昔、自分の考え方や行動を否定されたり間違った解釈をされるといちいち反論しないと気が済みませんでした。

 

例えば「お前SNSリア充アピールばかりしてるよな。みんなに自分は幸せだって自慢したいの?」と言われたとき。この人は私のことを誤解していると考えて「それは違う。他の人が楽しそうなことをしているのを見て『ロードバイク楽しそうだな、自分も始めてみよう』『近場にそんな場所があるんだ、今度行ってみよう』『あの人プライベート充実してるな、俺ももっと遊ばないと』って気持ちにさせてもらえて感謝してるから、そうやってお互いに情報交換したり刺激し合える輪を広げたいんだ」というふうに相手を納得させるまで長々と説明しようとしていました。

 

でもこれも先ほどと同じで、SNSの投稿を見て「こいつリア充アピールかよ」と考える人は認知が歪んでいる。自分が充実した日々を過ごせていないから相手に嫉妬している。その事実を認めたくないために「あいつはSNSリア充アピールすることで自分が幸せだと思い込もうとしているんだ」と自分に都合よく解釈しようとするわけです。

※相手の価値をおとしめる事で、相対的に自分を優位に立たせようとする人のことを『価値低減傾向』と呼ぶらしいです。

 

今では誰かに悪口を言われても気にすることはありません。その内容が客観的に見て自分の悪いところを指摘してくれている内容なら素直に受け止めて改善する努力をしますが、感情的になり傷付けるために発言しているなら相手にする必要はなくその見極めもできます。

 

以前悪口に反論していたのは、その悪口を聞いた第三者がその内容を鵜呑みにして自分の印象が悪くなるのではないかと心配していたからです。でも、悪口は言ってる人が一番悪く見られるし、自分が正しいと自信を持って生きていれば周りの人達もきっと分かってくれるから。

 

誰かに悪口を言われたり理不尽なことで傷付けられることは年を重ねても無くなることはありません。だから、そういう状況になったときに自分を信じてあげられる強い人間でいたいと思います。

映画「Start Line」


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耳が聞こえない映画監督今村彩子さんが自ら自転車で日本縦断するドキュメンタリー映画「Start Line」を鑑賞してきました。

 

聞こえないというハンディキャップを抱えながら日本縦断をする中で人と生じるコミュニケーションの壁をテーマにされた作品ですが、私はどちらかというと旅に憧れがあって旅人の紀行文を読んだりするのが好きなのでそういう意味でもこの映画を楽しみにしていました。

 

作中では道を尋ねたり現地で出会った人達と話したりと様々なコミュニケーションの場面が出てきます。ですが「口の動きが読みにくいから」「同じ質問をしてしまったら迷惑だから」など言い訳をして積極的に話せずにいる今村さんの姿が、吃音があり人と話すことを苦手としている自分の姿と重なり共感しながら観ていました。

 

道で自転車がパンクして困っている人がいるのに見て見ぬふりをして通り過ぎてしまう場面。「自分で空気を入れていたから大丈夫かと思った」と話している姿を見て、もし自分でも同じことを言っていたかもしれないと思いました。

 

例えば私も複数の人達が話している輪に入ることが苦手で、「自分が話すと会話の流れを止めてしまうから」と自分では気を遣っているつもりだったけど、改めて考えると話すことから逃げるために自分を正当化する言い訳をしていただけなんだなって気付くことができました。

 

後半では聴力を失ったサイクリスト、ウィルの前向きな考え方や行動に勇気をもらい感動しました。伴走者の哲さんの厳しくとも優しい言葉、今村さんの叱られすぎて暴走したくなる気持ちや不甲斐ない自分への悔しさなど全てが心に響いて思わず涙してしまう場面もありました。

 

一番印象的だったのは、旅の終わりを迎える直前になっても旅の答えを見付けることができなくて、最後勇気を出して多くの旅人が集まるライダーハウスに向かった場面です。

 

私が昔から旅に憧れがあるのは、旅をすれば積極的で見たこともない自分に出会えるのではないかと想像してそんな自分を夢見ていたからです。でもこの映画を観て、ただ旅をするだけではなくてそこで出会う困難に勇気を出して一歩踏み出すことの積み重ねがきっとその人を成長させていくんだろうなって気付かせてもらうことができました。

 

映画の上映が終わり質疑応答の時間があったので手を上げて私の感想を言わせていただきました。実は、感想を言おうと決めたときからすごく緊張して上手く話せるか不安だったけど、今村さんが普通の人なら絶対に見せたくないはずの姿を勇気を出して映画にして見せてくれたから、私もその気持ちに応えなければいけないなと思った。

 

この映画は障害がなくても人とのコミュニケーションを苦手としている人には是非観てもらいたい作品です。自分を見つめ直し新しいスタートラインに立たせてくれる、とても素敵な映画でした。